※[#「巛/邑」、第3水準1−92−59]《さいよう》の『独断』に、臘は歳終の大祭、吏民を縦《はな》って宴飲せしむ。正月歳首また臘の儀のごとしとある。件《くだん》の『風俗通』に出た諸説を攷《かんが》えると、どうも最初十二月の臘の祭りの節、鶏を殺して門戸に懸けたのが後に元日の式となった事、ちょうど欧州諸国で新年の旧式が多くクリスマスへ繰り上げられたごとし。しかるに〈古はすなわち鶏を磔す、今はすなわち殺さず、また、正月一日、鶏鳴きて起き、まず庭前において爆竹し、以て山※[#「月+操のつくり」、第3水準1−90−53]《さんそう》悪鬼を辟《さ》く云々。画鶏を戸上に帖し、葦索をその上に懸け、桃符《とうふ》をその傍に挿む、百鬼これを畏る〉と『荊楚歳時記』に載せ、註に董※[#「員+力」、第3水準1−14−71]いわく、今正臘の旦《あした》、門前、烟火桃神を作《な》し、松柏を絞索し、鶏を殺して門戸に著け、疫を追うは礼なり。『括地図』にいわく、桃都山に大桃樹あり、盤屈三千里、上に金鶏あり、日照らせばすなわち鳴く。下に二神あり、一を鬱《うつ》、一を塁《るい》と名づく、並びに葦の索《さく》を執って不祥の鬼
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