間鶏を食うを忌む。故に歳首ただ新菜を食い、二日人鶏に福施すとありて、正月二日の御祝儀として特に人と鶏に御馳走をしたのだ。『淵鑑類函』一七に『宋書』に曰く、歳朔《さいさく》、常に葦莢《いきょう》、桃梗《とうこう》を設け、鶏を宮および百司の門に磔《たく》し以て悪気を禳《はら》う。『襄元新語』に曰く、正朝に、県官、羊を殺してその頭を門に懸け、また鶏を磔してこれに副《そ》う。俗説以て※[#「厂+萬」、第3水準1−14−84]気《れいき》を厭《よう》すと為《な》す。元以て河南の伏君に問う、伏君曰く、これ土気|上升《じょうしょう》し、草木|萌動《ぼうどう》す。羊、百草を齧《か》み、鶏五穀を啄《ついば》む。故にこれを殺して以て生気を助くと。元旦から草木が生え出すを羊と鶏が食い荒すから、これを殺して植物の発芽を助くというのだ。『琅邪《ろうや》代酔編』二に拠れば、董※[#「員+力」、第3水準1−14−71]の元日を鶏、二日を猪などとなす説は、漢の東方朔《とうぼうさく》の『占年書』に基づいたので、その日晴れればその物育ち、陰《くも》れば災《わざわ》いありとした。例せば元日晴れれば鶏がよく育ち、二日曇れば豚
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