生まれたとか(一八七九年パリ板シニストラリの『婬鬼論』五五頁)、わが邦には古く金剛山の聖人|染殿《そめどの》后を恋い餓死して黒鬼となり、衆人の面前も憚《はばか》らず后を※[#「女+堯」、第4水準2−5−82]乱《じょうらん》した譚あり(『今昔物語』二十の七)、近くは一九《いっく》の小説『安本丹《あんぽんたん》』に、安本屋丹吉の幽霊が昔|馴染《なじみ》の娼妓、人の妻となり、夫に添い臥《ね》た所へ毎夜通い子を生まし大捫択《だいもんちゃく》を起す事あり。欧州にも『ベルナルズス尊者伝』にナントの一婦その夫と臥た処を毎夜鬼に犯さるるに、夫熟睡して知らず、後|事《こと》露《あら》われ夫|惧《おそ》れて妻を離縁したと載せ、スプレンゲルはある人鬼がその妻を犯すを睹《み》、刀を揮《ふる》うて斬れども更に斬れなんだと記す。ボダン説に鬼交は人交と異なるなし、ただ鬼の精冷たきを異とすと。支那でも『西遊記』に烏鶏国王を井に陥《おとしい》れ封じた道士がその王に化けて国を治む、王の太子母后に尋ねて父王の身三年来氷のごとく冷たしと聞き、その変化《へんげ》の物たるを知り、唐僧師弟の助力で獅子の本身を現わさしめ、父王を再活復位せしめたとある。仏説にも男女もしくは黄門(非男非女の中性人)が売婬で財を得、不浄身もて妄《みだ》りに施さば死後欲色餓鬼に生まれ、随意に美男美女に化けて人と交会すという(『正法念処経』一七)、一六三一年ローマ板ボルリの『交趾《こうし》支那伝道記』二一四頁に、その頃交趾に婬鬼多く、貴族の婦女これと通ずるを名誉とし、甚だしきはその種を宿して卵を生む者あり、しかるに貧民は婬鬼を厭うの余り天主教に帰依してこれを防いだと出《い》づ。宋朝以来南支那に盛んな五通神は、家畜の精が丈夫に化けて暴《にわ》かに人家に押し入り、美婦を強辱するのだ(『聊斎志異《りょうさいしい》』四)。けだし婬鬼に二源あり、一は男女の精神異態より、夢うつつの間に鬼と交わると感ずる者。今一つは若干の古ローマ帝が獣皮を被って婦女を姦したごとく、特種の性癖ある者があるいは秘社を結び、あるいは単独で巧みに鬼の真似《まね》して実際婦女を犯したのだ。そのほかに人と通じながら世間を憚って鬼に犯されたと詐称したのもすこぶる多かろう。四十年ほど已前、紀州湯浅町の良家の若い妻が盆踊りを見に往きて海岸に※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−
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