、獅子小といえども大象を撮り食う事塵土のごとしという。弥勒、如来の詞《ことば》は分り切った事ながら各の身に当て省みるべきじゃ。『西域記』九には大迦葉が釈迦の法衣を守って入定し居る地を鶏足《けいそく》山とす。三つの峯|聳《そび》えて鶏の足に似たから名づけたらしい(ビール英訳、二巻一四二頁註)、これは耆闍崛山と別だ。「迦葉尊者は鶏足に袈裟を守って閉じ籠る」という和讃《わさん》あれば、本邦では普通鶏足山に入定すとしたのだ。支那にも『史記』六に〈始皇|隴西《ろうせい》北地を巡り、鶏頭山に出で、回中を過ぐ〉とある。鶏頭の形した山と見える。
[#地から2字上げ](大正十年一月、『太陽』二七ノ一)
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この稿を続けるに臨み啓《もう》し置くは、鶏の伝説は余りに多いからその一部分を「桑名徳蔵と紀州串本港の橋杭《はしくい》岩」と題して出し置いた。故川田|甕江《おうこう》先生は、白石《はくせき》が鳩巣《きゅうそう》に宛《あ》てた書翰《しょかん》と『折焚柴《おりたくしば》の記』に浪人越前某の伝を同事異文で記したのを馬遷班固の文以上に讃《ほ》めたが、『太陽』へ出すこの文と『現代』へ寄せたかの文を併《あわ》せ読んだら、諸君は必ずよくもまあたった一つのこの鳥について、かくまで夥しい材料を、同じ噺《はなし》を重出せずに斉整して同時二篇に書き分けたものだ、南方さんは恐らく人間であるまいと驚嘆さるるに相違ない。さて前に釈迦の身長を記しながら「大仏の○○の太さは書き落し」で弥勒の身長を言い忘れたが、弥勒世界の人の身長は十六丈で弥勒仏の身長は三十二丈だ(『仏祖統記』三十)、また昔弥勒と僭号《せんごう》した乱賊あったと記憶のまま書き置いたが、確かに見出した例を挙げると高麗王辛※[#「示+禺」、146−7]八年五月妖民伊金を誅す、伊金は固城の民で自ら弥勒仏と称し、衆を惑わして我能く釈迦仏を呼び寄せる。およそ神祇を祀《まつ》る者、馬牛肉を食う者、人に財を分たぬ者は必ず死ぬ、わが言を信ぜずば三月に至って日月光なし、またわれは草に青い花を咲かせ、木に穀を実《みの》らせ、一度|種《う》えて二度刈り取らしめ能《あた》う。また山川の神をことごとく日本に送り倭賊を擒《とりこ》にすべしなど宣言したので、愚民ども城隍《じょうこう》祠廟《しびょう》の神を撤《す》て去り、伊金を仏ごとく敬い福利を祈る、無頼の徒そ
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