、我身知らずの性悪《しょうわる》という者ならずや」、風呂屋の猿とは『嬉遊笑覧』九に、『一代女』五、一夜を銀六匁にて呼子鳥、これ伝受女なり、覚束《おぼつか》なくて尋ねけるに、風呂者を猿というなるべし。暮方より人に呼ばれける(風呂屋女に仇名《あだな》を付けて猿というは垢をかくという意となり)とあり。正徳元年板|其碩《きせき》の『傾城禁短気《けいせいきんたんき》』に「この津の橋々に隠れなき名題の呂州(風呂屋女を指す)猿女上人」、一向宗の顕如《けんにょ》に猿をいいかけたり。元禄十三年板『御前義経記』五にも「以前の異名は湯屋猿と申し煩悩の垢をすりたる身」とあり。それから『信長記《しんちょうき》』八「美濃近江の境に山中という処、道傍にいつも変らずいる乞食あり。信長その故を問うに在処の者いう、昔当所山中の処にて常磐御前を殺せし者の子孫、代々|頑《かた》わ者と生まれて乞食す、山中の猿とはこの者と、六月二十六日|上洛《じょうらく》取り紛れ半ば、かの者の事思い出で、木綿《もめん》二十反手ずから取り出し猿に下され、この半分にて処の者隣家に小屋をさし、飢死せざるように情を掛け、隣郷の者ども、麦、出候わば麦を一度、秋後には米を一度、一年に二度ずつ取らすべしと」。これは代々不具な賤民を貌《かお》の醜きより猿と名づけたと見える。
 終りに述べ置くは、インドとシャムで象厩に猴を畜《か》えば、象を息災にすと信ずる由書いたが、近日一七七一年パリ板ツルパンの『暹羅《シャム》史』に、シャムの象厩に猴を飼い、邪気が厩を襲えば猴これを引き受け象害を免がる。象は天禀《てんびん》猴を愛するとあるを見出した。邪気とは只今学者どものいう邪視で、猴が避雷針様に邪視力を導き去るから、象、難を免るるのだ。前述熊野の牛舎の例もあり、猴を繋ぐは馬厩に限らぬと判る。さて、前年予植物同士相好き嫌いする説をロンドンで出し大いに注意を惹《ひ》いたが、その後|彼方《かなた》よりの来信を見るに、綿羊は常に鹿の蕃殖を妨げ、山羊を牛舎に飼えば、牛、常に息災で肥え太る由一汎に信ぜらるという。ロメーンズの『動物智慧論』にも※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《わに》が太《いた》く猫を愛した例を出す。惟うに害虫駆除とか邪視を避くるとかのほかに、実際、象、馬、牛は天禀猴を好むのかも知れぬ。この事深く心理学者や農学者、獣医諸君の研究を俟《ま》つ次第である。[#地から2字上げ](大正九年十二月、『太陽』二六ノ一四)



底本:「十二支考(下)」岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「南方熊楠全集 第一・二巻」乾元社
   1951(昭和26)年
初出:概言1「太陽 二六ノ一」
   1920(大正9)年1月
   概言2「太陽 二六ノ二」
   1920(大正9)年2月
   性質「太陽 二六ノ五」
   1920(大正9)年5月
   民俗1「太陽 二六ノ一三」
   1920(大正9)年11月
   民俗2「太陽 二六ノ一四」
   1920(大正9)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:門田裕志、仙酔ゑびす
2009年4月24日作成
2009年11月17日修正
青空文庫作成ファイル:
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