りがたいとあるが、定めて食物とか物の乾湿とか雑多の原因がある事と惟わる。したがってわが邦の猴舞わしが、四国猴は芸を仕込むに良いの、熊野猴は生まれ付きが荒いのというも年来の経験で根拠ある説らしい。
『連珠合璧《れんじゅがっぺき》』上に猿とあらば梢をつたうとあり、俗諺にも猴も木から落ちるというて、どの猴も必ず楽に木を伝い得るよう心得た人が多い。しかしワリスの『巫来《マレー》群島記』(一八八三年板、一三三頁)に、スマトラに多い体長く痩《や》せ、尾甚だ長いセムノビテクス属の猴二種は、随分大胆で土人を糸瓜《へちま》とも念《おも》わず、しかるに予が近づき瞰《なが》めると一、二分間予を凝視した後《のち》逃げ去るのが面白い。一樹の枝より少し低い他の樹の枝へ飛び下るに、一の大将分の奴が無造作に飛ぶを見て他の輩が多少|慄《おのの》きながら随い飛べど、最後の一、二疋は他の輩の影見えぬまで決心が出来ず、今は全く友達にはぐれると気が付き捨鉢《すてばち》になって身を投げ、しばしば細長い枝に身を打ち付け廻った後、地上へドッサリ堕つる睹《み》て可笑《おか》しさに堪えなんだとあるから、猴の木伝いもなかなか容易でないと見える。
世に猴智慧というは『甲子夜話』続二一に、四国の猴は余国よりは小さくして舞伎を教えて能く習う、因って捕え他国へも出して利を得るとぞ。この猴に器用なると不器用なると二品あり、不器用なるは芸を為《な》す事能わざる故選びに念入る事の由、その選ぶ術は、まず一人を容《い》るべきほどの戸棚を造り、戸を閉《し》める時自ずから栓下りて開けざるごとくして中に食物を置き、猴多き山に持ち往きて人まずその内に入って食物を食い出づるを、猴望み見て人の居ざるを待って入って食物に就《つ》く、不器用なる猴は食う時戸を閉づる事を知らず、故に人来ればたちまち逃れて山中に走る、器用なるは戸棚に入り食せんとする時、人の来るを慮《おもんぱか》りわざと戸を閉づ。兼ねてその機関《からくり》を作りたるもの故すなわち栓ありて闢《ひら》けず、ついに人に捕えらると、ここを以て智不智を撰ぶとぞ。いわゆる猴智慧なるかなと見ゆ。未熟の智慧を振うて失策を取るを猴智慧といい始めたらしい。されば仏経にしばしば猴を愚物とし、『百喩経』下に猴大人に打たれ奈何《いかん》ともする能わずかえって小児を怨《うら》むとあり。また猴が一粒の豆を落せるを拾わん
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