て最高価の真珠を獲たと記す。
 本居宣長は※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]田毘古《さるたひこ》神の名を※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]に似たる故とせんは本末|違《たが》うべし。獣の※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]はこの神の形に似たる故の名なるべしと説いた(『古事記伝』巻十五)。これは「いやしけど云々、竜の類いも神の片端と詠みながら、依然神徳高き大神をいかんぞ禽獣とすべけんや」と言った『俗説贅弁』同然の見を脱せず、※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]田毘古が※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]に似たのでなく※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]が※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]田毘古に似たのだとは、『唐書』に、張昌宗姿貌を以て武后に幸せられた時、佞人《ねいじん》楊再思が追従して、人は六郎の貌|蓮花《れんげ》に似たりと言うが、正に蓮花が六郎に似たるのみといったとあるに似た牽強じゃ。既に以て『日本書紀』に、天孫降下の間先駆者還って白《もう》さく、一神あり天の八衢《やちまた》におり、その鼻長さ七|咫《せき》、背長さ七尺余(まさに七|尋《ひろ》と言うべし)、かつ口尻|明耀《めいよう》、眼|八咫《やた》の鏡のごとくにして※[#「赤+色」、109−15]然、赤酸醤に似たりとありて、全く老雄猴の形容だ。宣長これを註して「さて※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]の形のこの神に似たるを以て思うに、鼻の長きも※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]に似たり、また背|長《たけ》七尺余とあるも俗に人の長立《たけだ》ちを背といわばただおよそその長立ちの事にもあるべけれど、もしその義ならばただに長とのみこそいうべきに、背をしもいえるは、これも※[#「けものへん+爰」、第3水準1−87−78]のごとく這《は》い居ます形についてその背の長さをいうにてもあるべし、神には様々あるめれば這い居たもうとせんも怪しむべきにあらず、もし尋常の人のごとく立ちて坐《ましま》さんには、尻のてり耀くというも似つかわしからぬをや」と言ったはもっともだ。それに介《かい》に手を挟まれて困《くる》しむ内、潮に溺れ命を失うたのも猿田彦は老猴を神としたに相違ない証拠だ。熊野などで番ザルと唱え、猴群
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