うふ》を致した賢人だが、それほどの智者でも真実狼を大神と心得る事、今日秩父の狼を大口真神と崇むる太郎作輩《たろさくはい》に同じかった。されば猴の特に大きなのを大神とせるも怪しむに足らず。
[#「第7図 狗頭形の文字の神トット」のキャプション付きの図(fig2539_07.png)入る]
[#「第8図 古エジプト土人死後の裁判」のキャプション付きの図(fig2539_08.png)入る]
[#「第9図 狗頭猴悪人の魂を送還す」のキャプション付きの図(fig2539_09.png)入る]
 似た例を挙げると昔いと久しく大開化に誇ったエジプト国でも数種の猴を尊んだ。その内もっとも崇められたはシノセファルス・ハマドリアスてふ狗頭猴で、古エジプト神誌中すこぶる顕著なる地位を占めた。昨今エジプトに産しないでアラビアとアビシニアに棲《す》み、時として大群を成す。身長四フィートばかり、その顔至って狗に似て長く、両肩に立て髪がない。この猴文字の神トットの使者たるのみならず、時としてトット自身もこの猴の形を現じた(第七図)。トットは通常人身|朱鷺《とき》頭で現じたのだ。エジプト人この猴を極めて裁判に精《くわ》しとした。第八図は野干(ジャッカル)頭の神アヌビスと鷹頭の死人の守護神が、死人の業《ごう》を秤《はか》る衡《はかり》の上に狗頭猴が坐し、法律の印したる鳥羽と死人の心臓が同じ重さなるを確かめてこれを親分のトットに報ずるところだ。さて衆神の書記たるトットがこれを諸神に告げるのだ。また第九図のごとく豕《いのこ》に像《かたど》った悪人の魂を舟に載せて、もう一度苦労すべく娑婆《しゃば》へ送還する画もある。またこの猴を月神の使者としその社に飼った。その屍は丁寧にミイラに仕上げて特設の猴墓所に葬った。けだしバッジの『埃及《エジプト》人の諸神』一巻二一頁に言えるごとく、狗頭猴のこの種は至って怜悧で、今も土人はこれを諸生物中最も智慧あり、その狡黠《こうかつ》を遥かに人間を駕するものとして敬重す。古エジプト人これを飼い教えて無花果《いちじく》を集めしめたが、今はカイロの町々で太鼓に合わせて踊らされ、少しく間違えば用捨なく笞《むち》うたるるは、かつて文字の神の権化《ごんげ》として崇拝されたに比較して猴も今昔の歎に堪えぬじゃろとウィルキンソンは言うた(『古埃及人の習俗)』巻三)。またいわく、アビシニアの南
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