5]《こくそく》す。羊の色は白く、雑色ありといえども白が多し、秋陰の殺気に近きが故に死を聞く時はすなわち懼《おそ》れず。およそ草木|牛※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]《ぎゅうたん》を経るの余は必ず茂る、羊※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]を経るの余は必ず悴槁《かれ》る。諺《ことわざ》にこれあり曰く、牛食は澆《そそ》ぐがごとく羊食は焼くがごとし。これけだし生殺の気しかるを致せり、この説『孟子』の一章を註すべし。『孟子』の梁恵王篇に斉宣王羊をもて牛に易《か》えよと言いし段を按ずるに王の意小をもて大に易ゆるにあらず、また牛を見ていまだ羊を見ざる故にあらず、牛は死を聞いて太《いた》く懼るがために忍びず、故にいうその※[#「轂」の「車」に代えて「角」、第4水準2−88−48]※[#「角+束」、第4水準2−88−45]として罪なくして死地に就《つ》くがごときに忍びず、故に羊を以てこれに易ゆるなりと。これ羊は死を聞いて懼れざるものなれば牛に易えよといいしなり。もししからずば豕《いのこ》もて牛に易ゆとも妨げなけん、さはれ孟子は牛と羊の性を説かず。ただいう〈牛を見ていまだ羊を見ざるなり、君子の禽獣におけるや、その生を見ればその死を見るに忍びず、その声を聞けばその肉を食うに忍びず、ここを以て君子は庖厨を遠ざくなり〉。これ仁者の言、いわゆるその君をして堯舜になす者なり、嗚呼《おこ》なる所為なれど童蒙のために註しつ(以上馬琴の説)。志村知孝これを駁《ばく》して曰く、この説童蒙のために注しつといえど奇を好める説なり、いわゆる宣王の〈羊を以て牛に易う〉といいしは孟子のいわゆる〈小を以て大に易え、牛を見て羊を見ず〉といえる意にして、牛の性は死を聞いて太《いた》く怖るるがために殺すに忍びず、羊の性は死を聞いて懼れざるものなれば牛に易えよといいしにはあるべからず。〈王もしその罪なくして死地に就くを隠《いた》まばすなわち牛羊何ぞ択ばん〉といえるにてその意明らけし。宣王もし牛は死を恐れ、羊は死を喜ぶ故に易えよと言われしならば、その由を説かるべきにその説なきをかく言わば童蒙をしてかえって迷いを生ぜしむべきにやと(『古今要覧稿』五三一巻末)。
仏経に人間が無常を眼前に控えながら何とも思わぬを、牛が朋輩の殺さるるを見ながら平気で遊戯するに比しあれど、ロメーンズの『動物智慧編《アニマル・イン
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