》を苅らば性慾|滅《き》ゆ。その子を産むに当っては直立す。新産の駒その生母を失えば同群中新たに産せし牝馬その世話をする(熊楠いわく、猫もこれと同じきはロメーンズも言い、予|親《みずか》ら幾度も見た)。駒生まれて三日間土に口を触るる能わず、悍の強いほど、水を飲むに鼻を深く浸す。シジア人は牡よりも牝馬を軍用した、そは能く尿しながら進行するからだと。またいわく、アゼンスに八十まで生きた騾あり、かつて堂を建つる時この老騾を免役したが、自ら進んでその工事を助けたから城民大いに悦び、議定してどの家の穀を食うとも追い払う事なからしめたと。『朝野僉載《ちょうやせんさい》』に、徳州刺史張訥之の馬、色白くて練《ねりぎぬ》のごとし、年八十に余りて極めて肥健に、脚|迅《はや》く確かだったとある。日本にも、源範頼《みなもとののりより》肥後の菊池の軍功を感じ、虎月毛を賜う、世々持ち伝え永禄年中まで存せり、その頃大友|義鎮《よししげ》、武威九州に冠たり、菊池これと婚を結び、累世の宝物を出し贈る、この馬その一に居る、義鎮受けて筑後の坂東寺村に置き、田を給し人を附けて養う、後|久留米秀包《くるめひでかね》、その辺を領し食田を増給せしに、文禄中五百歳で死す、郡民千余人葬いの行粧して、野に出で弔いし(『南海通記』二十一)、まずは馬中の神仙じゃ。
 馬の話をするととかく女の事を憶い出す。女にも寿かつ美な者もありて、『左伝』に見えた鄭|穆公《ぼくこう》の女《むすめ》夏姫は陳太夫御叔が妻たり、六十余歳にして、晋の叔向に再嫁して子を生めり。『列女伝』に、〈夏姫内に技術を挟《さしはさ》む、けだし老いてまた壮《さか》んなる者なり、三たび王后となり、七たび夫人となり、公※[#「危」の「卩」に代えて「矢」、第4水準2−82−22]《こうこう》これを争い、迷惑失意せざるはなし、あるいはいわくおよそ九たび寡婦とならば、これに当る者すなわち死すと、左氏載するところ、これに当る者すでに八人〉と見えしごとく、数の夫に会いて百歳に及ぶまでなお非行を為《な》しける者なり、これ閨中に術あるに因ってなり。宇文士及が『粧台記』の序にも、〈春秋の初め、晋楚の諺あり、曰く夏姫道を得て鶏皮三たび少《わか》し〉と見えしも、老いて後鶏皮のごとく、肌膚の剛《こわ》くなるは常の習いなるに、夏姫は術を得て、三度まで若返りたるという事なり(『類聚名物考』一
前へ 次へ
全106ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング