船を侵掠した。
ギリシアのジオメデス王、その馬に人肉を飼ったが、ヘラクレス奮闘して王を殺し、その尸《しかばね》を馬に啖《く》わしむると温柔《おとな》しくなったという。わが邦にも『小栗判官《おぐりはんがん》』の戯曲《じょうるり》(『新群書類従』五)に、横山家の悍馬《かんば》鬼鹿毛《おにかげ》は、毎《いつ》も人を秣《まぐさ》とし食うたとある。前年『早稲田文学』に、坪内博士舞の本や、古戯曲の百合若《ゆりわか》の譚《ものがたり》は、南蛮僧などが、古ギリシアのウリッセスの譚を将来したのを、日本の事のように作り替えたてふ論を出されたと聞いたが、いまだに手に入らぬからその論を拝読せぬ。しかし自分で調べ見ると、どうも博士の見は中《あた》りいると信ずる。
さてそのついでに調べると、小栗の譚は日本の史実を本としたものの、西暦二世紀に、チミジア国(今のアルゼリア)の人アプレイウスが書いた、『金驢篇《デ・アシノアウレオ》』の処々を摸《うつ》し入れた跡が少なくない。例せば、サイケがクピッドに別れて昼夜尋ね廻るに基づいて、照天姫《てるてひめ》が判官を尋ぬる事を作り、ヴィナスがサイケに七種の穀物を混ぜるを、短時間に選別《えりわけ》しむるに倣って、万屋《よろずや》の長が、姫に七所の釜の火を断えず焚《た》かせ、遠方より七桶の水を汲ませ、七種の買物を調えしむと筆し、上述ジオメデスの人食馬を人秣食う鬼鹿毛とし、壮士トレポレムス賊と偽って賊※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]《ぞくか》に入り、そこに囚われいる情女カリテを娼妓に売れと勧むると、照天娼家に事《つか》うると、またトが毒酒で群賊を眠らすのと、さて女を驢に載せて脱れ遂ぐるのとが、偶然また反対ながら、横山が小栗の郎従を酔殺すのと、判官鬼鹿毛に乗って遁げおおせるのとに近似しいる。もっとも小栗の話の大要は、『鎌倉大草紙』に載せた事実に本《もと》づき、むやみに改むる訳にも往かぬところから、『金驢篇』の模倣はほんのそこここに止まる。それから俗に小栗の碁盤の曲乗りなど伝うるに似た事は、前項でインドの智馬が蓮花を蹈んで行《ある》いたのと、広嗣の駿馬が四足を合せて、一の杭《くい》の頂に立ったのとだ。躑躅《つつじ》と同科のアセミまたアセボを『万葉集』に馬酔木《あせみ》と書き、馬その葉を食えば酔死すという。「取つなげ玉田横野の放れ駒、つゝじの下に馬酔
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