きを覚えるを制し得なんだ事ありとあったと記憶する。それと等しく鬼門の祟《たた》りなど凡衆にとって有無ともに確証を認めぬながら、君子は有るを慮《おもんぱか》り無しを慮らず、用心に越した事なしてふ了簡がほとんど天性となり居るところへ以て、蘇張の弁でその妄を説いたって容易に利く事でなかろう。かつそれ風を移し俗を易《か》えるは社会の上層から始め、下これに倣うてようやく事成る。しかるにわずか数年前横浜の外字新聞にわが国貴勝の隠れさせたまえる時刻に真仮の二様あったとて、かかる国民に何の史実何の誠意を期待し得べきと手酷く難詰しあったそうで、その訳文を京阪の諸紙で見た。陰陽道《おんようどう》で日や時の吉凶を詳しく穿議した古風を沿襲しての事と存ずるが、この世を去るに吉日も凶時もあるものかという外人の理窟ももっともだ。が上《かみ》つ方《かた》においては例の有るを慮り無しを慮らざる用心から、依然旧慣に循《したが》わるるのであろう。その可否のごときは吾輩賤人の議すべきでないが、社会の上層既にかかる因襲を廃せぬに、下層凡俗それ相応に鬼門の忌を墨守するを、吾輩何と雑言したりとて破り撤《す》てしめ得らりょうぞ。さてついでに申し置くは壮時随分諸邦を歩いた時の事と思《おぼ》し召せ。ある邦の元首大漸の公報に、その詳細を極めんとの用意が過ぎて、下気出る時の様子までも載せあった。昔は帝堯が己に譲位すべしと聞いて潁川《えいせん》に耳を洗うた変物あり、近くは屁を聞いて海に入り、屁を聞かせじと砂に賺《すか》し込む頑民あり、さまでになくとも高貴の方の下気など誰一人あるべき事と期待もせねば、聴きたがりもせず。それを公報に載せて職に尽くせしと誇るは、羊を攘《ぬす》んだ父を訴えた直躬者《ちょっきゅうしゃ》同然だ。かかる無用の事を聞かせて異種殊俗の民に侮慢の念を生ぜしめ、鼎《かなえ》の軽重を問わるるの緒を啓《ひら》いた例少なからず。かく言うものの、賺《すか》し屁の放《ひ》り元同然日本における屁の故事を詳《つまび》らかにせねど、天正十三年千葉新介が小姓に弑せられたは屁を咎めしに由り、風来《ふうらい》の書いた物に遊女が放屁を恥じて自殺せんとするを、通人ども堅く口外せぬと誓書を与えて止めたと見れば、大昔から日本人は古ローマ人のごとく屁を寛仮せず、海に入り砂に埋むるまでなくとも、むしろアラビヤ人流に厳しく忌んだらしい。これすなわ
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