に貰い腹中に持つ霊石は、その雛が土に触れぬうちに取らずば薬用に堪えずと一六五五年ライデン版『ムセウム・ウォルミヌム』七二頁、一六〇九年初版ボエチウスの『玉石論《デ・ゲムミプス・エト・ラピジブス》』四三九頁、共にプリニウスの『博物志』三十七巻を引き居るが、予プの書全篇を幾度も通覧せるも一向見当らぬ。けだし中世そんな俗伝あったのを、プの書は博綜を以て名高い故、こんな事なら大抵載せ居るはず位の見当で塗り付け置いたらしい。邦人が一汎に和漢書よりは精確と想う欧州書にもこんな杜撰《ずさん》が往々《まま》あるから孫引きは危険千万と注意し置く。カンボジヤの俗信に竹の梢《こずえ》に或る特種の蘭が寄生すると、その竹幹中に一の小仏像が潜みある、尿で潤した布片でその幹を巻き竹を割るとこれを獲る。これを家に置けば火災に遇わず、口に含めば渇かず、身に佩《お》ぶれば創《きず》を受けず。ただし右様の用意せずに割れば、かの像竹から地下へ抜け失せしまうという(『仏領交趾支那《コシャンシン・フランセーズ》雑誌』一六号に載ったエーモニエの『柬埔※[#「寨」の「木」に代えて「禾」、441−1]《カンボジヤ》風習俗信記』一三六頁)。
かく、土|能《よ》く諸物の精力を摂《と》り去り、霊異の品時に自ら地下へ逃げ去らんとすてふ信念より、駿馬の駒また地へ生み落さるればその力を減ずとしたのだ。パルグレーヴの『中央および東部アラビア紀行』十章に、アラブ人が駒産まるるところを受け抱いて地に落さざらしむとか、主人と同席で飲食するとか、人馬|親昵《しんじつ》する奇譚どもを片端から皆嘘のように貶《けな》したが、それは今日来朝の外人が吉野高尾ほどな文才ある遊君《ゆうくん》に会わず、人に大便を拭《ふ》かす貴族の大人をも見ぬからとて、昔もそんなものは全く日本になかったと即断すると同然、今に則《のっと》って古を疑う僻見《へきけん》じゃ。一八六四年版、ピエロッチの『パレスタイン風俗口碑記』に、アラブ人が馬を愛重する有様などを尤《いと》面白く書いた。とても拙毫《せつごう》の企て及ぶところでないが、その概略を左に訳出しよう。
アラブ人は諸畜の中のもっとも馬を貴び、患難にあっても栄華にあっても最も人に信あるものとす。その蕃殖《はんしょく》にもっとも注意を尽くせど、各部族その種馬を惜しみ、他部族の牝馬と交わらざらしむる故、馬種の改善著しく挙が
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