師となり、大いに仏法を興したそうだ。隠行の香薬とは、支那で線香を焼《た》いて人事不省たらしめて盗みを行う者あるごとく、特異の香を放ち、守衛を不覚にして宮中に入ったのであろう。
 日本戒律宗の祖鑑真は唐より薬物多く将来し、失明後も能《よ》く嗅《か》いで真偽を別ち、火葬の節異香山に満ちた。元興寺《がんごうじ》の守印は学|法相《ほっそう》、倶舎《くしゃ》を兼ねた名僧で、不在中に来た客を鼻で聞き知った。勝尾寺の証如《しょうにょ》は過ぐる所の宅必ず異香を留め、臨終に香気あまねく薫じた。その他名僧名人に生前死後身より妙香を出した伝多きは、その人香道の嗜《たしな》み深く、その用意をし置いたらしい。木村重成ら決死の出陣に香で身を燻《くん》じた人多く、甚だしきは平定文《たいらのさだぶみ》容姿言語一時に冠絶し「人の妻娘|何《いか》に況《いわん》や宮仕へ人は、この人に物いはれざるはなくぞありける」(『今昔物語』)。しかるに本院の侍従にのみ思いを遂げず、その欠点を聞いて思い疎《うと》みなばやと思えど何一つの欠点を聞かず。因ってその不浄を捨てに行く筥《はこ》を奪い嘗《こころむ》るに、丁子《ちょうじ》の煮汁を小便、野老《ところ》に香を合せ大きな筆管を通して大便に擬しあったので、その用意の細かに感じ、いかでかこの人に会わずしてはやみなんと思い迷うて焦《こが》れ死んだと見ゆ。以て以前邦人が香の嗜み格別で、今日|雪隠《せっちん》へ往って手を洗わなんだり、朝起きて顔を洗わずコーヒーを口に含んで、歯垢《はくそ》を嗽《すす》ぎ落して飲んでしまう西洋人と、大違いたるを知るべし。
 ただし最《いと》古く香の知識の発達したはまずアジア大陸諸国で、支那の『神農本草』既に香剤を収めた事多く、『詩経』『離騒』に芳草しばしば見え、返魂《はんごん》招仙に名香を焼《た》く記事を絶えず。一七八一年ビルマに滅ぼされた旧帝国アラカンの盛時、国中に十二殿ありて、十二町に散在す。各町の知事毎年その町良家新産の女児を視《み》て最も美な者十二人を選び、殿中に養い歌舞を習わせ、十二歳の始めにこれを王宮に進め、旧制に従《よ》って試験を受く。まず娘どもを浴《ゆあみ》させ新鮮潔白な絹衣を着せ、高壇に上って早朝より日中まで立たしむると、熱国の強日に曝《さら》され汗が絹衣に徹《とお》る。一々それを新衣に更《か》えしめ、汗に沾《うるお》うた絹衣を収め
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