したのを読んだが今ちょっと憶い出さぬ。ただし母系統を重んずるにはまた拠るべき道理の争われぬものありて、女はいつ誰の種を孕むやら自分ですら知らぬ場合もあるもの故(仏教にこれを知るを非凡の女とす)、普通に夫の子と認められながら誰の種と判らぬが多い。されば姓氏を重んずる支那でも、〈田常斉の国中の女子|長《たけ》七尺以上なるを選み後宮と為す、後宮百を以て数え、而して賓客舎人の後宮に出入する者を禁ぜざらしむ、常卒するに及び七十余男あり〉。フレデリク大王が長大の男女を配偶して強兵を図った先駆で、大きい子を多く生みさえすれば実は誰の種でもよいという了簡、これは格外として、戦国の末わずか十年内に楚王后が生んだ黄歇の子と秦王后が生んだ呂不韋の子が楚と秦の王に立った。故に魏の※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]子才《けいしさい》以為《おも》えらく婦人保すべからずと。元景にいう卿何ぞ必ずしも姓王ならん。元景色を変える。子才曰く我また何ぞ姓※[#「形」の「彡」に代えて「おおざと」、第3水準1−92−63]能く五世を保せんやと(『史記評林』四六と七八、『広弘明集』七)。しかるに誰の種にもせよ何女が孕み生んだという事は明らかに知りやすいから、某の母は誰、そのまた母は誰と、母系統の方が至って確かだとその流義の者は主張する。これを稽《かんが》えると本統の祖先崇拝は、母系統を重んずる民にして始めて誇り行い得るはずだ。天照大神《あまてらすおおみかみ》を女神としたは理に合わぬなどの論がかえって理に合わぬと惟う。いわんややたらに養嗣系図買いなどの行わるる国と来ては、いわゆるゆかりばかりの末の藤原で、日本人の子孫に相違ないと言い張り得れば足り、猿田彦の子孫鷺坂伴内の後裔と議論したって真の詞《ことば》費《つい》えじゃ。進化論から言わば動物を距つる事遠きほどその人間が上等で、動物に一として祖先崇拝の念など起すものなければ、この点においては祖先崇拝国民が祖先構わずの国民より優等だ。したがって予は祖先崇拝を大体について主張する一人だが、今日の事情が右のごとくだから、正銘の祖先崇拝は今となっては行い得ず、それよりも大切で差し迫った用事が幾らもあるだろうと考う。ここに一言するは同姓婚と母系統は必ずしも偕《とも》に行われず、しかしフレザーが言った通り、母統を重んずるよりやむをえず同姓婚を行う
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