ろと言い触らしたが、衆これを魔の使と罵り焼き殺さんとしたところ、早速の頓智《とんち》で馬に群衆中より帽に十字を帯びた一人を選んで低頭|跪拝《きはい》せしめ、魔使ならこんな真似をせぬはずと説いて免れたという、その前後馬が芸をして魔物と疑われ火刑を受けた例少なからぬ。騎馬で愛宕の石段登るを日本で褒《ほ》むるが、外国には豪い奴もあって、一六八〇年一人白馬に騎り、ヴェニースの埠頭から聖《サン》マルコ塔の頂まで引っ張った六百フィート長い綱を走り登る。半途で駐《とま》って右手に持った鎗を下げ左手で旗を三度振って宮廷を礼し、また走り登って鐘塔に入り徒歩で出で最高の絶頂に上り、金の天使像に坐って旗を振る事数回、鐘塔に還って騎馬し復《ふたた》び綱を走り降った(ホーンの『机上書《テーブルブック》』五四〇頁)。プリニウスはシバリス城の軍馬|毎《いつ》も音楽に伴れて踊ったといい、唐の玄宗は舞馬四百を左右に分ち※[#「糸+肅」、第3水準1−90−22]衣玉飾して美少年輩の奏楽に応じて演芸させた由。その他馬が楽を好んで舞いまた香を愛する事しばしば見ゆ(バートンかつてアラブ馬が女人に接したまま身を清めぬ主人を拒んで載せぬを見たという)。仏教の八部衆天竜|夜叉《やしゃ》の次に、乾闥婆《カンダールヴァ》あり最末位に緊那羅《きんなら》あり、緊那羅(歌楽神また音楽天)は美声で、その男は馬首人身善く歌い、女端正好く舞い多く乾闥婆の妻たり。香山の大樹緊那羅王瑠璃琴を奏すれば、一切の大衆仏前をも憚《はばか》らず、覚えず起ちて舞い小児同然だったという。乾闥婆は食香また尊香と訳し天の楽神で宝山に住み香を守る。天神楽を作《な》さんと欲せば、この神の相好たちまち反応変化し自ら気付いて天に上り奏楽す。また能く幻術《てじな》を以て空中に乾闥婆城(蜃気楼)を現ず。梵教の伝に、この神|帝釈《インドラ》と財神《クヴェラ》に侍属し水と雲の精アプサラスを妻とし、女を好み婦女を教え婚姻を司り日神の馬を使う。ヒンズ法に男女法式に拠らず即座合意の結婚を乾闥婆と称え、ヒマラヤ地方の諸王の妻で、后より下、妾より上なるをもかく呼ぶ。乾闥婆が馬や驢に基づいて作られた神たるはグベルナチス伯の『動物譚原《ゾーロジカル・ミソロジー》』に詳論あり。好んで妓楽を観聴し戒緩だった者この楽神に転生す、布施の果報で諸天同様楽に暮すと仏説じゃ。吾輩随分田舎芸妓に
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