の来書だった。しかし内宮神事の唄の意は、阿婆良気は七島よりなるといえど側なる毛無島を合算すると八島となるというらしく毛無と阿婆良気は別だ。孔子もわれ老圃《ろうほ》に如《し》かずといった。とかくこんな事は女に質《ただ》すに限ると惟うて例の古畠のお富を問うとその判断が格別だ。この女史いな仲居の説に、予が阿婆良気はアバラヤ(亭)同様|荒《あれ》寥《すさ》んだ義で毛無と近くほとんど相通じたらしく、かくて不毛をアバラケ、それよりカワラケと転じ呼んだだろうと述べたはこの二島の名を混合した誤解で、毛無すなわち不毛、アバラケはマバラケで疎らに少しくあるの義で全く毛無と一つにならぬ。そのアバラケを今日カワラケと訛《なま》ったので、おまはんも二月号に旧伝に絶えてなきを饅頭と名づく、これかえって太《ひど》く凶ならず、わずかにあるをカワラケと呼び極めて不吉とすと書いたやおまへんかと遣り込められて廓然大悟し、帰って『伊勢参宮名所図会』島嶼《とうしょ》の図を見ると阿婆良気島に果して少々木を画き生やし居る。お富は勢州山田の産故その言|拠《よりどこ》ろありと惟わる。婦女不毛の事など長々書き立つるを変に思う人も多かろうが、南洋の諸島に婦女秘処の毛を抜き去り三角形を黥《いれずみ》するとあり。諸方の回教徒は皆毛を抜く。その由来すこぶる古く衛生上の効果著しいところもあるらしいから、日本人も海外に発展するに随いこの風を採るべき場合もあろうと攷う。したがってカワラケに関する一切の事を調べ置いて国家に貢献しようと志すのだと心底を打ち明け置く。
 これからいよいよ馬の心理上の諸象をざっと説こう。ロメーンズいわく、馬は虎獅等の大きな啖肉獣ほど睿智《えいち》ならず、食草獣のうち象大きい馬より伶俐《れいり》で象ほどならぬが驢も馬より鋭敏だ、しかしその他の食草獣(牛鹿羊)よりはやや馬が多智だ。馬の情緒が擾馬家《うまならし》次第で急に変化する事驚くべく、馬を擾《なら》す方法諸邦を通じてその揆《き》は一だ、すなわち荒れ廻る奴の前二足あるいは四足ことごとく括《くく》りて横に寝かせ暫く狂い廻らせ、次に別段痛苦を感ぜず、ただただとても人に叶《かな》わぬと悟るよう種々これを責むるに一度かく悟ると馬の心機たちまち全く変り野馬たちまち家馬となる、時に野性に復《かえ》り掛かる例なきにあらざれど容易《たやす》く制止し得る、南米曠野の野馬は数
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