ば、海馬生まると(一八一四年版ラングレー仏訳『シンドバード航海記』一二頁)。『水経注』に※[#「さんずい+眞」、第3水準1−87−1]池《てんち》中神馬あり、家馬これと交われば、日に五百里行く駿駒を生むと。『大清一統志』に、江南金竜池、深さ測られず、唐初その中から一馬出で、朝は郊坡《つつみ》を奔り騰《のぼ》り、夜は池中へ入る、尉遅敬徳これを捕えたと(巻八十)。三五〇巻に、
〈『魏書《ぎしょ》』いわく、青海周囲千余里、海内小山あり、毎冬氷合の後、良牧馬を以てこの山に置き、来春に至りこれを収む、馬皆孕むあり、生まるるところの駒、名号竜種と為す、必ず駿異多し、吐谷渾かつて波斯《ペルシヤ》馬を得、放ちて海に入れ、因って※[#「馬+聰のつくり」、第4水準2−93−3]駒を生み、能く日に千里を行く、世に伝う青海※[#「馬+聰のつくり」、第4水準2−93−3]はこれなり〉、『隋書』煬帝《ようだい》紀、〈大業五年、馬牧を青海渚中に置き、以て竜種を求め、効なくしてやむ〉。五九巻に、〈陝西《せんせい》竜泉、相伝う毎春夜牝馬を放ち、この泉水を飲ましめ自ずから能く懐孕《かいよう》す、駒生まれて毛なく、起つ能わず、氈を以てこれを裹《つつ》めば数日内に毛生ず、三歳に至らざるに、大宛馬《だいえんば》とほぼ同じ〉。また三二二巻に、広西の竜馬|窩《か》旧伝に、烟霧中怪しき物ありて、馬を逐《お》い走る事飛ぶがごとし、後駒を生むに善く走ると。
 これらをすべて攷《かんが》うると、最初牧馬と野馬と判然分立せざる時、もしくは牧馬がしばしば逃れて野生に復《かえ》った時、湖中の島や遠く水を隔たった地などに自活しいたが、時に水を渡って牧馬に通い、生まるるところの駒が著しく良かったのを、海※[#「馬+聰のつくり」、第4水準2−93−3]、海馬、竜駒などいったのだろう。野馬は人を厭う故に容易に人に見られず。形を見せぬ物が牧馬を孕ます故、竜てふ霊怪な物の子としたので、竜の居そうな所に野馬が棲んだのだ。古く八尺以上の馬を竜と呼んだも、かようの辺《あたり》から起ったらしい。熊野で、他所と懸絶した地点の小家の牝猫が、近所に一疋も牡なきに孕むを、これは交会の結果でなく、箒《ほうき》で撫《な》でれば牡なしに子を儲《もう》けるなど信じいる人を見た。実は人に取ってこそ他所と懸絶なれ、偶を求む牝猫は其式《それしき》の崖や渓を何《にゃん
前へ 次へ
全106ページ中52ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング