。テンネントの『錫蘭博物志《ゼ・ナチュラル・ヒストリー・オブ・セイロン》』にいわく、セイロンで蛇に咬まるるはほとんど皆夜なり。昼は人が蛇を見て注意すれど闇中不意に踏まば蛇驚いて正当防禦で咬むのだ。故に土人闇夜外出するに必ず錫杖《しゃくじょう》を突き蛇その音を聴いて逃げ去ると。しかるに蝮は逃ぐる事遅いから英国労働者などこれを聾と見、その脊の斑紋実は文字で歌を書いて居るという。その歌を南方先生が字余り都々逸《どどいつ》に訳すると「わが眼ほど耳がきくなら逃げ支度して人に捉《と》られはせぬものを」だ。鶯も蛙も同じ歌仲間というが敷島の大倭《おおやまと》での事、西洋では蝮が唄を作るのじゃ。蛇は多く卵で子を生むが蝮や海蛇や多くの水蛇や響尾蛇《ラトル・スネーク》は胎生だ。『和漢三才図会』に蝮の子生まるる時尾まず出で竹木を巻き母と子と引き合うごとく、出生後直ぐに這い行く、およそ六、七子ありという。ホワイトの『セルボルン博物志』には、蝮の子は生まるると直ぐ歯もないくせに人を咬まんとす、雛鶏|趾《けづめ》なきに蹴り、羔《こひつじ》と犢《こうし》は角なきに頭もて物を推し退くと記した。いわゆる蛇は寸にしてその気
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