桶輪だ。この蛇赤と黒と入り乱れて斑を成し、瑳《みが》いた磁器ごとく光り、長三|乃至《ないし》六フィート、止期《やみご》なしに種々異様に身を曲げ変る。それを訛ったものか、昔人この蛇毒を以て他動物を殺さんとする時、口に尾を銜《ふく》みて、箍《たが》状《なり》になり、電《いなずま》ほど迅く追い走ると言ったが、全く啌《うそ》で少しも毒なし、しかし今も黒人など、この蛇時に数百万広野に群がり、眼から火花を散らして躍り舞う、人その中に入れば躍り囲まれて脱し得ず、暈倒《うんとう》に及ぶと信ずる由。牡牛蛇《ブル・スネーク》も米国産で、善《よ》く牡牛のごとく鳴くと虚伝さる。一八五六年版アメリア・モレイの『米国等よりの書翰集』で見ると、当時ルイジヤナ州に牛の乳を搾《しぼ》る蛇あり、犢《こうし》のごとく鳴いて牝牛を呼び、その乳を搾ったという。支那の南部に蛇精多く人に化けて、旅人の姓名を呼ぶ。旅人これを顧み応《こた》うれば、夜必ずその棲所《とまり》に至り人を傷つく、土人枕の中に蜈蚣《むかで》を養い、頭に当て臥し、声あるを覚ゆれば枕を啓《ひら》くと蜈蚣|疾《と》く蛇に走り懸り、その脳を啗《くら》うというは大眉唾物だ(『淵鑑類函』四三九)。
 一八六八年版コリングウッドの『博物学者支那海漫遊記《ラムブルス・オブ・ア・ナチュラリスト・オン・ゼ・チャイナ・シー》』一七二頁注に、触れたら電気を出す蛇を載す。一七六九年版、バンクロフトの『ギヤナ博物論』二〇八頁にいう火蛇《ファイア・スネーク》は、ギアナで最も有毒な蛇だが、好んで火に近づき火傍に眠る印度人《インデアン》を噛むと。またいう、コンモードは水陸ともに棲む、長《たけ》十五フィート周十八インチ、頭|扁《ひらた》く濶《ひろ》く、尾細長くて尖《とが》る、褐色で脊と脇に栗色を点す。毒なしといえどもすこぶる厄介な代物で、しばしば崖や池を襲い鵞や鶩《あひる》を殺す。土人いわく、この蛇自分より大きな動物に会えば、その尖った尾を敵手の肛門に挿し入れてこれを殺す、故にその地の白人これを男色蛇《ソドマイト・スネーク》と称うと。どうも虚譚《うそ》らしいが、これにやや似て実際今もあるはブラジルのカンジル魚だ。長わずか三厘三毛ほどで甚《いと》小便の臭《にお》いを好み、川に浴する人の尿道に登り入りて後、頬の刺《とげ》を起すから引き出し得ず。これを以てアマゾン河辺のある土人は、水に入る時|椰子殻《やしがら》に細孔を開けて男根に冒《かぶ》せる。また仏領コンゴーの土人は、最初男色を小蛇が人を嚥《の》むに比し、全然あり得べからぬ事と確信した(デンネットの『フィオート民俗篇』)。
 件《くだん》の男色蛇に似た事日本にもありて、『善庵随筆』に、水中で人を捕り殺すもの一は河童、一は鼈《すっぽん》、一は水蛇、江戸近処では中川に多くおり、水面下一尺ばかりを此岸《しがん》より彼岸《ひがん》へ往く疾《はや》さ箭《や》のごとし。聢《しか》と認めがたけれど大抵青大将という蛇に似たり、この蛇水中にて人の手足を纏《まと》えど捕り殺す事を聞かず。また出羽最上川に薄黒くして扁《ひらた》き小蛇あり、桴《いかだ》に附いて人を捕り殺すという。この蛇佐渡に最《いと》多しと聞く、河童に殺された屍は、口を開いて笑うごとく、水蛇の被害屍は歯を喰いしばり、向歯《むこうば》二枚欠け落ち、鼈《すっぽん》に殺されたのは、脇腹章門辺に爪痕入れりと見え、『さへづり草』には、水辺一種の奇蛇あり、長七、八寸より二尺余に至る。色白く腹薄青く、人の肛門より入りて臓腑を啖い、歯を砕きて口より出《い》づ、北国殊に多し、越後にて川蛇、出羽にてトンヘビなどいえるものこれなり(熊楠故老に聞く、トンとは非道交会の義)と云々。さればこの蛇の害に依って水死せる者を、その肛門の常ならざるについて、皆|水虎《かっぱ》の業とはいい習わしたるものか云々。また女子の陰門《まえ》に蛇入りしといえるも、かの水蛇の事なるべし。かかれば田舎の婦女たりとも必ず水辺に尿する事なかれ、といいおる。予在英のうち本邦の水蛇について種々取り調べたが、台湾は別として本土に一種もあるらしくなかった。現住地田辺附近で、知人が水蛇らしいものを釣った事を聞くに、蛇らしくも魚らしくもあって定かならぬ。上述北国の水蛇は評判だけでも現存するや。諸君の高教を冀《こいねが》う。柳田君の『山島民譚集』に、河童の類語を夥しく蒐《あつ》めたが、水蛇については一言も為《さ》れ居ぬ。本篇の発端にも述べ懸けた通り、支那の竜蛟蜃など、蛇や※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《がく》や大蜥蜴に基づいて出来た怪動物が常に河湖淵泉の主たり。時に人を魅し子を孕ます。日本の『霊異記』や『今昔物語』に、蛇女に婬して姙ませし話や、地方に伝うる河童が人の妻娘に通じて子を
前へ 次へ
全35ページ中19ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング