に堪えぬところが、彼らのもっとも面白がるところである。したがって欧人が何とも要領を得ず、拙作極まる小説としか受け取れぬ諸誕は、ことごとく実在した事歴を述べたものだと論じ居る。新島《にいじま》の伝説もこの通りで、代官暗殺云々は全く事実であろう。代官の幽公が来るのを懼れて、戸を閉じ夜を守ったも事実であろう。柊は刺で、トベラは臭気で悪霊を禦ぐは分りやすいが、笊《ざる》を何故用いるか。種彦《たねひこ》の『用捨箱《ようしゃばこ》』巻上に、ある島国にていと暗き夜、鬼の遊行するとて戸外へ出でざる事あり。その夜去りがたき用あらば、目籠を持ちて出るなり、さすれば禍なしと、かの島人の話なりといえるは、やはり新島辺の事で、昔は戸口にも笊を掛け、外出にも持ち歩いたであろう。種彦は、江戸で二月八日|御事始《おことはじめ》に笊を門口に懸けた旧俗を釈《と》くとて、昔より目籠は鬼の怖るるといい習わせり、これは目籠の底の角々は☆|如此《かく》晴明九字(あるいは曰く晴明の判)という物なればなり。原来の俗説、ただ古老の伝を記すと言ったが、その俗説こそ大いに研究に用立つなれ。すなわちこの星状多角形の辺線は、幾度見廻しても止まるところなきもの故、悪鬼来りて家や人に邪視を加えんとする時、まずこの形に見取れ居る内、邪視が利かなくなるの上、この晴明の判がなくとも、すべて籠細工の竹条は、此処《ここ》に没して彼処《かしこ》に出で、交互起伏して首尾容易に見極めにくいから、鬼がそれを念入れて数える間に、邪視力を失うので、イタリア人が、無数の星点ある石や沙や穀粒を、袋に盛って邪視する者に示し、彼これを算《かぞ》え尽くすの後にあらざれば、その力|利《き》かずと信ずると同義である。節分の夜、豆|撒《ま》くなども、鬼が無数の豆を数え拾う内に、邪力衰うべき用意であろう。
かつて強盗多かった村人に聞いたは、強盗盛んな年は、家に小銭を多く貯え置く、泥的御来臨のみぎり、二、三問答の上、しからばやむをえない、貴公らに金を仮りたとあっては相済まぬ、少々ながら有金すっかり進呈しよう、大臣にでもなったら返しくだされ、その節は、子供を引き立てくだされなど、能《いい》加減に述べて、引き出しを抽《ひ》いて、たちまち彼奴《かやつ》の眼前へ打ち覆《かえ》すと、無数の小銭が八方へ転がり走る。泥公一心これを手早く掻き込むに取り忙ぎ、銭の多寡を論じたり、凶器
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