、『淵鑑類函』四三九に、『詩経類考』を引いて、江西の人、菜花蛇てふ緑色の蛇を捕え、その蟠《わだかま》る形を種々の卦《け》と名づけ、禍福を判断し俚俗これを信ずと出《い》づ。『酉陽雑俎』に、蛇|交《つる》むを見る人は三年内に死す。ハツリットの『|諸信および民俗《フェース・エンド・フォークロール》』二に、古ローマ人は蛇の動作を見て卜《うらの》うた。ロッス説に、水蛇と陸上の蛇の闘いは、人民の不幸を予示すと。アツボットいわく、マセドニア人、首途《かどで》に蛇を見れば不吉として引き還すと。ラームグハリット言う、ニルカンス鳥は、女神シタージの使物として、インドに尊ばる帽蛇、蛙を啣《くわ》え、頭にこの鳥を載せて川を渡るを見る人は、翌年必ず国王となると。南方先生裸で寝て居る所へ、禁酒家の娘が百万円持参で、押し付け娵入《よめい》りに推し懸くるところを見た人はという事ほど、さようにあり得べからざる事である。
 ハツリット説に、一八六九年アルゼリアのコンスタンチナ市裁判所で、夫が妻の貞操を疑うて、その鼻と上唇を截《き》った裁判あった時、妻の母いわく、この男は悋気《りんき》甚だしいから、妾それを止めんとて、高名な道士に蛇の頭を麻の葉に裹《つつ》んでもらい、婿の頭巾の襞《ひだ》の中へ入れるつもりでしたと言い、傍聴人に向って、何とこの法が一番能く利くでありませぬかと問うと、たちまちアラブ人数名頭巾を脱いで、銘々そうともそうとも、吾輩も悋気が豪《えら》いからこの通りと言って、件《くだん》の禁厭品《まじないもの》を取り出し示したが、陪席の土人官員一名、また判官の問いをも俟《ま》たず、僕も妻について焼かぬ間もなしだから、この通り蛇頭を戴きおります、蛇頭は男子を強力、女人を貞実ならしむる物ですと述べたそうだ。ブラックの『俚薬方篇《フォーク・メジシン》』五九頁に、英国サセックスの俗頸|腫《は》れた時、蛇を頸の上に挽《ひ》きずり、罎《びん》に封じ固く栓して埋めると、蛇腐るに随って腫れ減ずと見ゆ。これは英国で、蝸牛《かたつむり》や牛肉や林檎《りんご》に疣《いぼ》を移し、わが邦《くに》でも、鳥居や蚊子木葉《いすのきのは》に疣を伝え去るごとく、頸の腫れを蛇に移すのだ。紀伊、伊勢等で蛇の屍を丁寧に埋め、線香供え日参すれば、歯痛癒ると信じ、予小時毎度頼まれて蛇を殺した。中世スペインの天主教名僧、ロムアルドの遺骸を、分
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