》蛇猪を画いて貪《どん》瞋《しん》痴《ち》を表せよと教え(『根本説一切有部毘奈耶』三四)、その他蛇を瞋恚《しんい》の標識とせる事多きは、右の擬自殺の体を見たるがその主なる一因だろう、古インド人も蛇自殺する事ありと信じたと見える。たとえば『弥沙塞五分律《みしゃそくごぶんりつ》』に舎利弗《しゃりほつ》風病に罹《かか》り呵梨勒果《かりこくか》一を牀脚辺に著《つ》けたまま忘れ置いて出た。瞿伽離《くがり》見付けて諸比丘に向い、世尊|毎《いつ》も舎利弗は欲少なく足るを知ると讃むるが我らの手に入らぬこの珍物を蓄うるは世尊の言と違うと言った。舎利弗聞いてその果《み》を棄てた。諸比丘それは大徳病気の療治に蓄えたのだから棄つるなかれと言うと、舎利弗われこの少しの物を持ったばかりに梵行人をして我を怪しましめたは遺憾なり、捨てた物は復《ふたた》び取れぬと答えた。仏|言《のたま》わく、舎利弗は一度思い立ったら五分でも後へ退《ひ》かぬ気質だ。過去世にもまたその通りだった。過去世一黒蛇あり、一犢子を螫《さ》した後穴に退いた。呪師羊の角もて呪したがなかなか出で来ぬから、更に犢子の前に火を燃して呪するとその火蜂と化《な》って蛇穴に入った黒蛇蜂に螫され痛みに堪えず、穴を出でしを羊角で抄《すく》うて呪師の前に置いた。呪師蛇に向い、汝かの犢を舐《ねぶ》って毒を取り去るか、それがいやならこの火に投身せよと言うと蛇答えて、彼この毒を吐いた上は還《また》これを収めず、たとい死ぬともこの意《こころ》を翻さぬと言いおわって毒を収めず自ら火に投じて死んだが舎利弗に転生《うまれかわ》った。死苦に臨むもなお一旦吐いた毒を収《とりい》れず、いわんや今更に棄つるところの薬を収めんやと。『十誦律毘尼序《じゅうじゅりつびにじょ》』にこの譚の異伝あり。大要を挙げんに、舎婆提《しゃばてい》の一居士諸僧を請《しょう》ぜしに舎利弗上座たり。仏の法として比丘の食後今日は飲食美味に飽満たりや否やと問う定めだったので、僧ども帰りて後仏が一子|羅喉羅《らごら》その時|沙弥《しゃみ》(小僧)たりしにかく問うに得た者は足り得ざる者は不足だったと答えた。仔細を尋ぬるに上座中座の諸僧は美食に飽きたが、下座と沙弥とは古飯と胡麻滓《ごまかす》を菜に合せて煮た麁食《そしょく》のみくれたので痩《や》せ弱ったという。仏舎利弗は怪《け》しからぬ不浄食をしたというを
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