ずなく、頭痛が治った意趣返しをやらにゃならぬと怪《け》しからぬ考えを起し、蛇を尋ねておかげで己の病は治ったが頃日《このごろ》忘れいた蛇の頭痛療法を憶《おも》い出したと語り、蛇に懇請されてそれなら教えよう、造作もない事だ、汝が頭痛したら官道に往って全く総身を伸ばして暫《しばら》く居れば輙《たやす》く治ると告げた。蛇教えのままに身を伸ばして官道に横たわり居ると、棒持った人が来て蛇を見付けると同時に烈しくその頭を打ったので、蛇の頭痛はまるで何処《どこか》へ飛んでしまった。蛇は犬の奸計とは気付かず爾来頭が痛むごとに律義に犬の訓《おし》え通り官道へ横たわり行く。つまり頭が打ち砕かれたら死んでしまうから療治も入《い》らず。幸い身を以て遁《のが》れ得たら太《ひど》く驚いて何処かへ頭痛が散ってしまうのである(一九一五年版ガスター著『羅馬尼《ルーマニア》禽獣譚』)。コラン・ド・プランシーの『妖怪字彙《ジクショネーランフェルナル》』四版四一四頁には、欧州に蛇が蛻《かわぬ》ぐごとに若くなり決して死なぬと信ずる人あるという。英領ギヤナのアラワク人の談に、往時上帝地に降《くだ》って人を視察した、しかるに人ことごとく悪くて上帝を殺そうとし、上帝怒って不死性質を人より奪い蛇蜥蜴甲虫などに与えてよりこれらいずれも皮脱で若返ると。フレザーの『|不死の信念《ゼ・ビリーフ・イン・インモータリチー》』(一九一三年版)一に、こんな例を夥しく挙げて昔|彼輩《かれら》と人と死なざるよう競争の末人敗れて必ず死ぬと定ったと信ずるが普通だと論じた。この類の信念から生じたものか、本邦で蛇の脱皮《ぬけがら》で湯を使えば膚《はだ》光沢を生ずと信じ、『和漢三才図会』に雨に濡れざる蛇脱《へびのかわ》の黒焼を油で煉《ね》って禿頭《はげあたま》に塗らば毛髪を生ずといい、オエンの『老兎巫蠱篇《オールド・ラビット・ゼ・ヴーズー》』に蛇卵や蛇脂が老女を若返らすと載せ、『絵本太閤記』に淀君妖僧日瞬をして秘法を修せしめ、己が内股の肉を大蛇の肉と入れ替えた。それより艶容|匹《たぐい》なく姿色衰えず淫心しきりに生じて制すべからず。ために内寵多しとあるは作事ながら多少の根柢はあるなるべし。本邦で蛇は一通りの殺しようで死に切らぬ故執念深いという。これに反し蝮は強き一打ちで死ぬ。『和漢三才図会』に蝮甚だ勇悍《ゆうかん》なり、農夫これを見付けて殺そうに
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