この蝮は平生頭のみ露わして体を沙中に埋め、その烈毒を憑《たの》んで猥《みだ》りに動ぜず。人畜近くに及び、わずかに首を擡《もた》ぐ。人はもとより馬もこれに咬まるれば数時の後|斃《たお》る。しかるにこの蛇煙草汁を忌む事抜群で、この物煙草汁に中《あた》って死するは、人がこの物の毒に中って死するより速やかだから、ホッテントット人これを見れば、煙草を噛んでその面に吹き掛け、あるいは杖の尖《さき》にその脂《やに》を塗りて、これに咬み付かしむればたちまち死す。ブシュメン人、この蛇の動作鈍きに乗じ、急にその頸を跣足《はだし》で蹈み圧《おさ》え、一打ちに首を切り、さて寛《ゆっく》りその牙の毒を取り、鏃に着くるに石蒜《ひがんばな》属のある草の粘汁を和す。ブシュメン用いるところの弓は至って粗末なるに反して、その矢は機巧を究め、蘆茎を※[#「竹かんむり/幹」、第3水準1−89−75]《やがら》とし、猟骨を鏃とし、その尖に件《くだん》の毒を傅《つ》けて※[#「竹かんむり/幹」、第3水準1−89−75]中に逆さまに挿し入れ蔵《おさ》め置き、用いるに臨み抜き出して尋常に※[#「竹かんむり/幹」、第3水準1−89−75]の前端に嵌《は》め着く。このブシュメン人は濠州土人|火地人《フェージャン》等と併《なら》びに最劣等民と蔑《べっ》せらるるに、かくのごとき優等の創製を出した上に、パッフ・アッダーを殺すごとその毒を嚥《の》まば、蛇毒ついにその身を害し能わざるべきを予想し、実行したるは愚者も千慮の二得というべし。
 ウッドの『博物画譜』にいわく、パッフ・アッダーに咬まれたのに利く薬|聢《たし》かに知れず。南アフリカの土人は活きた鶏の胸を開いて心動いまだ止《や》まぬところを創《きず》に当てると。一七八二年版ソンネラの『東印度および支那紀行』にいわく、インドのカリカルで見た毒蛇咬の療法は妙だった。若い牝鶏の肛門を創に当て、その毒を吸い出さしむると少時して死す。他の牝鶏の尻を当てるとまた死す。かくて十三回まで取り替ゆると、十三度目の者死なずまた病まず。その人ここにおいて全快したと。多紀某の『広恵済急方』という医書に、雀の尻上を横|截《ぎ》りした図を出し、確か指を切って血止まらざるを止めんとならば、活きた雀を腰斬りしてその切り口へ傷処をさし込むべしとあったと記憶するが、これらいずれも応急手当として多少の奏効をし
前へ 次へ
全69ページ中64ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南方 熊楠 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング