た蛇が自分化けるでなく、人を化けしむる力ありてふ迷信もある。ボルネオの海《シイ》ダヤク人はタウ・テパン(飛頭蛮《ろくろくび》)を怖るる事甚だし、これはその頭が毎夜体を離れ抜け出でて、夜すがらありたけの悪事を行い、旦《あした》近く体へ復《かえ》るので里閭《りりょ》これと交際を絶ち、諸《もろもろ》の厭勝《まじない》を行いその侵入を禦《ふせ》ぎ、田畠には彼が作物を損じに来る時、その眼と面を傷つくるよう竹槍を密《ひそ》かに植うる。あるいはいう、昔その地を荒らした大蛇の霊がわが舌を取って食い得たら、頭だけ飛行自在にしてやると教えたに始まると(六年前四月二十日の『ネーチュール』)。
 蛇が人に化けた例は諸国甚だ多く、何のために化けたかと問うと、多くは『平家物語』の緒方家の由緒通り、人と情交を結ばんとしてである。また人が蛇に化けて所願を遂げた例もありて、トランスカウカシアの昔話に、アレキサンダー大王はその実偉い術士の子だった。この術士常にマケドニア王フィリポスの后オリムピアスを覬覦《きゆ》したがその間《ひま》を得ず、しかるに王軍行して、后哀しみ懐《おも》う事切なるに乗じ、御望みなら王が一夜還るよう修法《しゅほう》してあげるが、蛇の形で還っても構わぬか、人の形ではとてもならぬ事と啓《もう》すと、ただ一度逢わば満足で、蛇はおろかわが夫が真実還ってくれるなら、糞蛆《せっちむし》の形でもこちゃ厭《いと》やせぬと来た。得たり賢し善は急げと、術士得意の左道を以て自ら蛇に化けて一夜を后と偕《とも》に過ごし、同時に陣中にある王に蛇となって后に遇う夢を見せた。軍《いくさ》果て王いよいよ還ると后既に娠《はら》めり。王怪しんでこれを刑せんとす。后いわく、爾々《しかじか》の夜王は蛇となって妾と会えりと。聞いてびっくり苅萱道心《かるかやどうしん》なら、妻妾の髪が蛇となって闘うを見て発心したのだが、この王は自分が蛇となった前夜の夢を憶い出して奇遇に呆《あき》れ、后を宥《ゆる》してまた問わず。しかし爾後蛇を見るごと、身の毛|竪立《よだ》ちて怖れたそうだ。烏羽玉《うばたま》の夢ちゅう物は誠に跡方もない物の喩えに引かるるが、古歌にも「夢と知りせば寤《さめ》ざらましを」と詠んだ通り、夫婦情切にして感ずる場合はまた格別と見え、『唐代叢書』五冊に収めた『開元天宝遺事』に、〈楊国忠《ようこくちゅう》出でて江浙に使し、その
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