つい》で論じあるで判《わか》る。アフリカ、南米、濠州等には川に鮫住む事多く昔江戸鮫が橋まで鮫が来たとは如何《いかが》だが、『塩尻』五三に尾張名古屋下堀川へ鰹群来した事を記して、漁夫いう日でり久しき時鮫内海に入り諸魚を追うて浜近く来るとあり。田辺浜の内の浦などいう処は近年まで鮫毎度谷鰹てふ魚を谷海とて鹹水《かんすい》で満ちた細長き谷間へ追い込み漁利を与えた故今も鮫を神様、夷子《えびす》様など唱え鮫というを忌む、日高郡南部町などは夏日海浴する小児が鮫に取られた事少なからず、されば汽船発動機船などなかりし世には日本の海岸に鮫到り害を為《な》す事多かったはずで、『今昔物語』の私市宗平《きさいちのむねひら》、『東鑑』の朝比奈義秀《あさひなよしひで》など浜辺でワニを取った様子皆鮫で※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]にあらず、ハワイやタヒチ等の浜辺に鮫を祭る社あって毎度鮫来り餌を受け甚だしきは祠官を負うて二十|浬《かいり》も游ぎし事エリスの『多島海研究《ポリネシアン・レサーチス》』四、ワイツおよび《ウント》ゲルランド『未開人民史《ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル》』六
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