去ればすなわちこれ蛇形なりと〉、『十誦律』に、〈仏舎衛国にあり、爾時《そのとき》竜子仏法を信楽す、来りて祇※[#「さんずい+亘」、第3水準1−86−69]《ぎおん》に入る、聴法のため故なり、比丘あり、縄を以て咽に繋ぎ、無人処に棄つ、時に竜子母に向かいて啼泣す〉、母大いに瞋《いか》り仏に告ぐ、仏言う今より蛇を※[#「罘」の「不」に代えて「絹のつくり」、179−2]《あみ》する者は突吉羅罪《ときらざい》とす、器に盛り遠く無人処に著《お》くべしと。いずれも蛇を竜の幼稚なものとしたので、出雲|佐田社《さだのやしろ》へ十月初卯日ごとに竜宮から竜子を献《たてまつ》るというも、実は海蛇だ。『折焚柴記《おりたくしばのき》』に見えた霊山《りょうぜん》の蛇など、蛇が竜となって天上した談は極めて多い(蛇が竜に化するまでの年数の事、ハクストハウセンの『トランスカウカシア』に出《い》づ)。
 故にフィリップやクックが竜は蛇ばかりから生じたように説いたは大分粗漏ありて、実は諸国に多く実在する蜥蜴群が蛇に似て足あるなり、これを蛇より出て蛇に優《まさ》れる者とし、あるいは蜥蜴や※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《がく》が蛇同様霊異な事多きより蛇とは別にこれを崇拝したから、竜てふ想像物を生じた例も多く、それが後に蛇崇拝と混合してますます竜譚が多くまた複雑になったであろう。『古今図書集成』辺裔典二十五巻に、明の守徐兢高麗に使した途上、定海県総持院で顕仁助順淵聖広徳王てふ法成寺《ほうじょうじ》関白流の名の竜王を七昼夜祭ると、神物出現して蜥蜴のごとし、実に東海竜君なりと出《い》づ。画の竜と違い蜥蜴のようだとあれば、何か一種の蜥蜴を蓄《こ》うて竜とし祠《まつ》りいたのだ。『類函』四三七、〈『戎幕間談《じゅうばくかんだん》』曰く、茅山《ぼうざん》竜池中、その竜蜥蜴のごとくにして五色なり、昔より厳かに奉ず、貞観《じょうがん》中竜子を敷取し以て観《み》る、御製歌もて送帰す、黄冠の徒競いてその神に詫《わ》ぶ、李徳裕その世を惑わすを恐れ、かつて捕えてこれを脯《ほ》す、竜またついに神たる能わざるなり〉、これは美麗な大|蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]《いもり》を竜と崇めたのだ。本邦には蜥蜴や蠑※[#「虫+原」、第3水準1−91−60]の属数少なく余り目に立つものもないので、格別霊怪な談も聞かぬが、外国殊に熱地その類多い処では蛇に負けぬほどこれに関する迷信口碑が多い。欧州でも、露国の民はキリスト教に化する前、家ごと一隅に蛇を飼い、日々食を与えたが(一六五八年版ツヴェ『莫士科坤輿誌《コスモグラフィー・モスコヴィト》』八六頁)、そのサモギチア地方民は十六世紀にもギヴォイテてふ蜥蜴を家神とし食を供えた(英訳ハーバースタイン『露国記《ノーツ・アッポン・ラッシア》』二巻九九頁)。
『抱朴子』に、〈蜥蜴をいいて神竜と為《な》すは、但《ただ》神竜を識《し》らざるのみならず、また蜥蜴を識らざるなり〉、晋代蜥蜴を神竜とし尊んだ者ありしを知るべし。『漢書』に漢武|守宮《やもり》を盆で匿し、東方朔《とうぼうさく》に射《あ》てしめると、竜にしては角なく蛇にしては足あり、守宮か蜥蜴だろうと中《あ》てたので、帛《きぬ》十疋を賜うたとある。蜥蜴を竜に似て角なきものと見立てたのだ。上に引いた通り、『周易』の易の字は蜴《とかげ》の象形といったほど故、古支那で蜥蜴を竜属として尊んだのだ。蜥蜴は墓地などに多く、動作迅速でたちまち陰顕する故、サンタル人は、睡中人の魂|出行《である》くに、蜥蜴と現ずと信ず(フレザー『金椏篇《ゴルズン・バウ》』初版一巻一二六頁)。『西湖志』に、銭武粛王の宮中夜番を勤むる老嫗が、一夜大蜥蜴燈の油を吸い竭《つ》くしたちまち消失するを見、異《あやし》んで語らずにいると、明日王曰く、われ昨夜夢に魔油を飽くまで飲んだと、嫗見しところを王に語るに王|微《すこ》しく哂《わら》うのみとあれば、支那にも同様の説があったのだ(『類函』四四九)。後インドではトッケとてわが邦の蜥蜴に名が似て、カメレオンごとく能《よ》く変色する蜥蜴、もと帝釈の宮門を守ったと伝う(ロウ氏の説、一八五〇年刊『印度群島および東亜細亜雑誌』四巻二〇三頁)。
 濠州のジェイエリエ人伝うらく、大神ムーラムーラ創世に多く小さき黒蜥蜴を作り、諸《もろもろ》の※[#「虫+支」、第4水準2−87−33]行《はう》動物の長とす。次にその足を分ちて指を作り、次に鼻それより眼口耳を作り、さて立たしむるに尾が妨げとなるから切り去ると蜥蜴立ちて行き得、かくて人類が出来たと(スミス『維克多利生蕃篇《ゼ・アボリジンス・オヴ・ヴィクトリア》』二、四二五頁)。古エジプト人は、蜥蜴を神物とし、その尸をマンミーにして保存奉祀した。西
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