元升《むかいげんしょう》という医者の為人《ひととなり》を称し毎度諮問した由記しあれば、蜈蚣鯨の一項は向井氏が西洋人か訳官《つうじ》から聞き得て貝原氏に伝えたのかも知れぬ、第八図はゴカイの一種ネレイス・メガロプスが専ら水を游ぐ世態をやや大きく写したので、大小の違いはあるが実際海蜈蚣また蜈蚣鯨の何様《いかよう》の物たるを見るに足る。
[#「第7図」のキャプション付きの図(fig1916_07.png)入る]
[#「第8図」のキャプション付きの図(fig1916_08.png)入る]
これを要するに秀郷竜宮入りの譚は漫然無中有を出した丸嘘談でなく、事ごとにその出処根底ある事上述のごとく、そのうち秀郷一、二の矢を射損じ第三の矢で蜈蚣を射留めたと言うに類した那智の一蹈※[#「韋+鞴のつくり」、第3水準1−93−84]《ひとつたたら》ちゅう怪物退治の話がある、また『近江輿地誌略』に秀郷竜女と諧《かの》うたという談については、古来諸国で竜蛇を女人の標識としたり、人と竜蛇交わって子孫生じたと伝え、〈夜半人なく白波|起《た》つ、一目赤竜出で入る時〉など言い竜蛇を男女陰相に比べて崇拝した宗義など、読者をぞっとさせる底の珍譚山のごとく、上は王侯より下|乞丐《こつがい》に至るまで聞いて悦腹せざるなく、ロンドンに九年|在《い》た中、近年大臣など名乗って鹿爪らしく構え居る奴原《やつばら》に招かれ説教してやり、息の通わぬまで捧腹《ほうふく》させ、むやみに酒を奢《おご》らせる事毎々だったが、それらは鬼が笑う来巳の年の新年号に「蛇の話」として出すから読者諸君は竜の眼を瞼《みは》り蛇の鎌首を立て竢《ま》ちたまえというのみ。ついでに言う、秀郷の巻絹や俵どころでなく、如意瓶《にょいがめ》とて一切欲しい物を常に取り出して尽きぬ瓶を作る法が『大陀羅尼末法中一字心呪経』に出で居る、慾惚《よくぼ》けた人はやって見るが宜《よろ》しい。(大正三[#「三」に「ママ」の注記]年十二月六日起稿、大竜の長々しいやつを大多忙の暇を窃《ぬす》んで書き続け四[#「四」に「ママ」の注記]年一日夜半成る)[#地から2字上げ](大正五年三月、『太陽』二二ノ三)
底本:「十二支考(上)」岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年1月17日第1刷発行
1997(平成9)年10月6日第10刷発行
底本の親本:「南方熊楠全集第一巻」乾元社
1951(昭和26)年5月25日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:鈴木厚司
2007年12月27日作成
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