せてくださいと頼むと、数日後果して貴人より召され、夥しく供養されたという(『宋高僧伝』七)。拙者も至って孝心深く、かつ無類の大食なれば、可止法師に大いに同感を寄するが、それよりも感心なは居暁の博物《ものしり》で、壁虎《やもり》の眼が瞬《またた》かぬなど少々の例外あれど、今日の科学|精覈《せいかく》なるを以てしても、一汎《いっぱん》に蛇の眼は瞬かず、蜥蜴群の眼が動くとは、動かし得ざる定論じゃ。それを西人に先だって知りいたかの僧はなかなか豪《えら》いと南方先生に讃《ほ》めてもらうは、俗吏の申請で正六位や従五位を贈らるるよりは千倍悦んで地下に瞑するじゃろう。ただし、生きた竜の眼を実験とは容易にならぬこと故、これを要するに、例外は多少ありながら、竜蛇の主として別るる点は翼や角を第二とし、第一に足の有無にある。『想山著聞奇集』五に、蚯蚓《みみず》が蜈蚣《むかで》になったと載せ、『和漢三才図会』に、蛇海に入って石距《てながだこ》に化すとあり、播州でスクチてふ魚|海豹《あざらし》に化すというなど変な説だが、蛆《うじ》が蠅、蛹《さなぎ》が蛾《が》となるなどより推して、無足の物がやや相似た有足の物に化ける事、蝌蚪《かえるご》が足を得て蛙となる同然と心得違うたのだ。これらと同様の誤見から、無足の蛇が有足の竜に化し得、また蛇を竜の子と心得た例少なからぬ。南アフリカの蜥蜴蛇《アウロフィス》など、前にも言った通り蜥蜴の足弱小に身ほとんど蛇ほど長きものを見ては誰しも蛇が蜥蜴になるものと思うだろ。『蒹葭堂雑録』の二足蛇のほか本邦にかかる蜥蜴あるを聞かぬが、これらは主に土中に棲んで脚の用が少ないから萎減《いげん》し行く退化中のもので、アフリカに限らず諸州にあり。実際と反対に蛇が竜に変ずるてふ誤信を大いに翼《たす》け、また虫様の下等竜すなわち※[#「虫+璃のつくり」、第3水準1−91−62]竜《あまりょう》てふ想像動物の基となっただろう。※[#「虫+璃のつくり」、第3水準1−91−62]竜は支那人のみならずインド人も実在を信じたらしい(『起世因本経』七、『大乗金剛|髻珠《けつじゅ》菩薩修行分経』)。『本草綱目』にいう、〈蜥蜴一名石竜子、また山竜子、山石間に生ず、能く雹《ひょう》を吐き雨を祈るべし、故に竜子の名を得る、陰陽折易の義あり、易字は象形、『周易』の名けだしこれに取るか、形蛇に似四足あり、足を
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