、中世より二足二翼のもの多く、また希《ま》れに無足有角のものもある。インドの那伽《ナーガ》を古来支那で竜と訳したが、インドの古伝に、那伽は人面蛇尾で帽蛇《コブラ》を戴き、荘厳尽くせる地下の竜宮《バタラ》に住み、和修吉《ヴァスキ》を諸那伽の王とす。これは仏経に多頭竜王と訳したもので、梵天の孫|迦葉波《カーシャバ》の子という。日本はこの頃ようやく輸入されたようだが、セイロン、ビルマ等、小乗仏教国に釈迦像の後に帽蛇が喉を膨《ふく》らして立ったのが極めて多い。『四分律蔵《しぶりつぞう》』に、仏|文※[#「馬+鄰のへん」、第3水準1−94−19]《ぶんりん》水辺で七日坐禅した時、絶えず大風雨あり、〈文※[#「馬+鄰のへん」、第3水準1−94−19]竜王自らその宮を出で、身を以て仏を繞《めぐ》る、仏の上を蔭《おお》いて仏に白《もう》して言わく、寒からず熱からずや、飄日のために暴《さら》されず、蚊虻のために触※[#「女+堯」、第4水準2−5−82]せらるるところとならずや〉、風雨やんでかの竜一年少|梵志《ぼんし》に化し、仏を拝し法に帰した、これ畜生が仏法に入った首《はじめ》だと見ゆ。
 帽蛇《コブラ》(第四図)は誰も知るごとく南アジアからインド洋島に広く産する蛇で、身長六フィート周囲六インチに達し、牙に大毒あるもむやみに人を噛まず、頭に近き肚骨《あばらぼね》特に長く、餌を瞰《ねら》いまた笛声を聴く時、それを拡げると喉が団扇《うちわ》のように脹《ふく》れ、惣身《そうみ》の三分一を竪《た》てて嘯《うそぶ》く、その状極めて畏敬すべきところからインド人古来これを神とし、今も卑民のほかこれを殺さず。卑民これを殺さば必ず礼を以て火葬し、そのやむをえざるに出でしを陳謝《いいわけ》す。一八九六年版、クルックの『北印度俗間宗教および民俗誌《ゼ・ポピュラル・レリジョン・エンド・フォークロール・オブ・ノルザーン・インジア》』二巻一二二頁に拠《よ》れば、その頃西北諸州のみに、那伽《ナーガ》すなわち帽蛇崇拝徒二万五千人もあった。昔アリア種がインドに攻め入った時、那伽種この辺に栄え、帽蛇を族霊《トテム》としてその子孫と称しいた。すなわち竜種と漢訳された民族で、ついにアリア人に服して劣等部落となった。件《くだん》の畜生中第一に仏法に帰依した竜王とは、この竜種の酋長を指《さ》したであろう。俗伝にはかの時|仏《ぶ
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