ンチ・クリスト》同前の説が仏教にもありとはお釈迦様でも気が付くまい。すなわち『大法炬陀羅尼経』に、悪世にこの世界|所有《あらゆる》悪竜大いに猛威を振い、毒蛇遍満して毒火を吐き人畜を螫《さ》し殺し、悪人悪馬邪道を行い悪行を専らにすと説かれた。
[#「第3図 1493年版アンチ・クリストの世の図」のキャプション付きの図(fig1916_03.png)入る]

     竜の起原と発達

 一八七六年版ゴルトチッヘルの『希伯拉鬼神誌《デル・ミスト・バイ・デン・ヘブレアーン》』に、『聖書』にいわゆる竜は雲雨暴風を蛇とし、畏敬《いけい》せしより起ると解いた。アラビア人マスージー等の書に見る海蛇(『聖書』の竜《タンニン》と同根)は、その記載旋風が海水を捲《ま》き上ぐる顕象たる事明白で、それをわが国でも竜巻といい、八雲立《やくもたつ》の立つ同様下から立ち上るから竜をタツと訓《よ》み、すなわち旋風や竜巻を竜といったと誰かから聞いた。支那やインドで竜王を拝して雨を乞うたは主《おも》にこれに因ったので、それより衍《ひ》いて諸般の天象を竜の所為《しわざ》としたのは、例せば『武江年表』に、元文二年四月二十五日|外山《とやま》の辺より竜出て、馬場下より早稲田町通りを巻き、人家等損ずとあるは、明らかに旋風で、『新著聞集』十八篇高知で大竜家を破ったとか、『甲子夜話』三十四江戸大風中竜を見たなど、いずれも竜巻を虚張《こちょう》したのだ。『夜話』十一に、深夜烈風中竜の炯眼《ひかるめ》を見たとは、かかる時電気で発する閃光だろう。『熊野権現宝殿造功日記』新宮に竜落ちて焼けたとあるは前述天火なるべく、『今昔物語』二十四雷電中竜の金色の手を見て気絶した譚は、その人臆病抜群で、鋭い電光を見誤ったに相違ない。『論衡《ろんこう》』に雷が樹を打ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘って雹《ひょう》を降らす、『歴代皇紀』に、伝教《でんぎょう》入唐出立の際暴風大雨し諸人悲しんだから、自分所持の舎利を竜衆に施すとたちまち息《や》んだと出づ。ベシシ人は竜を有角大蛇とし、地竜海竜と戦い敗死し天に昇りて火と現ずるが虹なりと信ず(スキートおよびブラグデン『巫来半島異教民族篇《ペーガン・レーセス・オヴ・ゼ・マレー・ペニンシュラ》』二)。東京《トンキン》人は月蝕を竜の所為
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