−55]に取りて瓢は重々不倶戴天の仇と見える。
 フィリップ氏また竜が守護神たり怖ろしい物たるより、古く武装に用いられた次第を序し、ホメロスの詩に見えたアガメムノンの盾に三頭《みつがしら》の竜を画き、ローマや英国で元帥旗に竜を用いたり、ノールス人が竜頭の船に乗った事などを述べ居るが、今長く抄するをやめ、一、二氏の言わぬところを補わんに、古エジプト人は、ウレウス蛇が有益なるを神とし、日神ラーはこの蛇二頭を、他の多くの神や諸王は一頭を前額《ひたい》に戴《いただ》くとした(バッジ『埃及諸神譜《ゼ・ゴッズ・オヴ・ゼ・エジプチアンス》』二、三七七頁)。仏教の弁財天や諸神王竜王が額や頭に竜蛇を戴く、わが邦の竜頭《たつがしら》の兜《かぶと》はこれらから出たものか。支那にも『類函』二二八に、竜を盾に画く、〈また桓元《かんげん》竜頭に角を置く、あるいは曰くこれ亢竜《こうりゅう》角というものなり〉。盾や喇叭《らっぱ》を竜頭で飾ったのだから、兜を同じく飾った事もあるべきだが、平日調べ置かなんだから、喇叭も吹き得ぬ、いわんや法螺《ほら》においてをやだ。
 ただしエリスの『古英国稗史賦品彙《スペシメンス・オヴ・アーリー・イングリッシュ・メトリカル・ローマンセス》』二版一巻六二頁に、古ブリトン王アーサーの父アサー陣中で竜ごとき尾ある彗星を見、術士より自分が王たるべき瑞兆と聞き、二の金竜を造らせ、一をウィンチェスターの伽藍に納め、今一を毎《つね》に軍中に携えた。爾来竜頭アサーと呼ばれた。これ英国で竜を皇旗とする始まりで、先皇エドワード七世が竜を皇太子の徽章《しるし》と定めた。さてアサー、ロンドンに諸侯を会した宴席で、コーンウォール公ゴーロアの美妻イゲルナに忍ぶれど色に出にけりどころでなく、衆人の眼前で、しきりに艶辞を蒔《ま》いたを不快で、かの夫妻退いて各一城に籠《こも》り、王これを攻むれど落ちず。術士メルリン城よりもまず女を落すべく王に教え、王ゴーロアの偽装で入城してイゲルナを欺き会いて、その夜アーサー孕《はら》まる。次いでゴーロア戦死し、王ついにイゲルナを娶《めと》り、これもほどなく戦死、アーサー嗣《つ》ぎ立て武名を轟かせしが、父に倣《なろ》うてか毎《つね》に竜を雕《ほ》った金の兜を着けたとあれば、英国でも竜を兜に飾った例は、五、六世紀の頃既にあったのだ。
 フィリップ氏またキリスト教法で竜を
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