所有品を海に抛げ込んでその神に祈り、ために神官にくれる物一つもなくなる故神官余りかかる大祈祷を好まなんだ由(ピンカートン『航海旅行記全集《ゼネラルコレクション・オヴ・ヴォエイジス・エンド・トラヴェルス》』十六巻五〇〇頁)。されば竜宮に永年積んだ財宝は無量で壇の浦に沈んだ多くの佳嬪らが竜王に寵せられて竜種改良と来るから、嬋娟《せんけん》たる竜女が人を魅殺した話多きも尤もだ、竜宮に財多しというが転じて海に竜王住む故大海に無量の宝ありと『施設論』など仏書に多く見ゆ。
 また鮫《ふか》類にもその形竜蛇に似たるが多く、これも海中に竜ありてふ信念を増し進めた事疑いなし、梵名マカラ、内典に摩竭魚と訳す、その餌を捉《と》るに黠智《かつち》神のごとき故アフリカや太平洋諸島で殊に崇拝し、熊野の古老は夷神はその実鮫を祀りて鰹《かつお》等を浜へ追い来るを祈るに基づくと言い、オランラウト人は鮫と※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]を兄弟とす、予の鮫崇拝論は近い内『人類学雑誌』へ出すが、少分《すこし》は六年前七月の同誌に載せた「本邦における動物崇拝」なる拙文に書き置いたからそれに譲るとして、竜と鮫の関係につきここに述ぶるは、上に言うた通りわが邦でタツというはもと竜巻を指した名らしく外国思想入りて後こそ『書紀』二十六、斉明《さいめい》天皇元年〈五月《さつき》の庚午《かのえうま》の朔《ついたちのひ》、空中《おおぞらのなか》にして竜に乗れる者あり、貌《かたち》唐人《もろこしびと》に似たり、青き油《あぶらぎぬ》の笠を着て云々〉など出でたれ、神代には支那の竜と同じものはなかったらしい、『書紀』二に豊玉姫《とよたまひめ》産む時夫|彦火々出見尊《ひこほほでみのみこと》約に負《そむ》き覘《うかが》いたもうと豊玉姫産にあたり竜に化《な》りあったと記されたが、異伝を挙げて〈時に豊玉姫|八尋《やひろ》の大熊鰐《わに》に化為《な》りて、匍匐《は》い逶※[#「虫+也」、第3水準1−91−51]《もごよ》う。遂に辱められたるを以て恨《うらめ》しとなす〉とあり、『古事記』には〈その産に方《あた》っては八尋の和邇《わに》と化りて匍匐い逶蛇《もこよ》う〉とあり、その前文に〈すべて佗国《あだしくに》の人は産に臨める時、本国《もとつくに》の形を以て産生《う》む、故に妾今もとの身を以て産を為《な》す、願わ
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