長ぜず鳥雀|巣《すく》わず、星夜|視《み》れば黒気天に上る、蛟|孵《かえ》る時|蝉《せみ》また酔人のごとき声し雷声を聞きて天に上る、いわゆる山鳴は蛟鳴で蛟出づれば地崩れ水害起るとてこれを防ぐ法種々述べおり、月令に毎夏兵を以て蛟を囲み伐つ由あるは周の頃土地開けず文武周公の御手もと近く※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]《がく》が人畜を害う事しきりだったので、漢代すでにかかる定例の※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]狩りはなくなった故|鄭《てい》氏が注釈を加えたのだ。それより後は※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]ますます少なくなって蛟とは専ら地下の爬虫孵り出る時地崩れ水|湧《わ》き出るを指《さ》す名となったので、その原由は※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]が蟄居より出で来るよりも主として雷雨の際土崩れ水出で異様の骨骸化石を露わすにあっただろう、『和漢三才図会』四七、〈およそ地震にあらずして山岳|暴《にわか》に崩れ裂くるものあり、相伝えていわく宝螺跳り出でて然《しか》るなり〉。『東海道名所記』三、遠州今切の渡し昔は山続きの陸地なりしが百余年ばかり前に山中より螺貝《ほらがい》夥しく抜け出で海へ躍《と》び入り、跡|殊《こと》のほか崩れて荒井の浜より一つに海になりたる事、唐土の華山より大亀出でし跡池となり田畠に灌《そそ》ぎしごとしと載す、予の現住地紀州田辺近き堅田浦《かただのうら》に古《いにしえ》陥れると覚ぼしき洞窟の天井なきような谷穴多く(方言ホラ)小螺の化石多し、土伝に昔ノーヅツ(上述|野槌《のづち》か)ここに棲み長《たけ》五、六尺太さ面桶《めんつう》ほどで、頭と体と直角を成して槌のごとく、急に落ち下りて人々を咬《か》んだといい今も恐れて入らず、これ支那の蛟の原由同然かかる動物の化石出でしを訛伝したらしい、小螺化石多く出るから小螺躍び出て地を崩したというはずのところノーヅツなる奇形化石に令名をしてやられて今もその谷穴をノーヅツと称う。ただし『類函』二六、〈福建の将楽県に蛟窟あり、相伝う昔小児あり渓傍の巨螺を見て拾い帰り、地に穴し瀦水《ちょすい》してこれを蓄え、いまだ日を竟《お》えざるにその地横に潰《つい》え水勢|洶々《きょうきょう》たり、民懼れ鉄を以てこれに投
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