て眇《すがめ》となり勝負付かず、呉に之《ゆ》きて友人を訪《たず》ねるとちょうど死んだところで、その葬喪の席で神と闘って勝負|預《あず》かりの一件を自慢し語ったとは無鉄砲な男だ。その席に要離《ようり》なる者あって、勇士とは日と戦うに表《かげ》を移さず、神鬼と戦うに踵《きびす》を旋《めぐ》らさずと聞くに、汝は神に馬を取られ、また片目にまでされて高名らしく吹聴《ふいちょう》とは片腹痛いと笑うたので、※[#「言+斤」、第3水準1−92−1]大いに怒り、その宅へ押し寄ると、要離平気で門を閉じず、放髪|僵臥《きょうが》懼《おそ》るるところなく、更に※[#「言+斤」、第3水準1−92−1]を諭《さと》したのでその大勇に心服したとある。その後曹操が十歳で※[#「言+焦」、第3水準1−92−19]水《しょうすい》に浴して蛟を撃ち退け、後人が大蛇に逢うて奔るを見て、われ蛟に撃たれて懼れざるに彼は蛇を見て畏ると笑うた。また晋の周処|少《わか》い時乱暴で、義興水中の蛟と山中の虎と併せて三横と称せらるるを恥じ、まず虎を殺し次に蛟を撃った。あるいは浮かびあるいは沈み数千里行くを、処三日三夜|随《つ》れ行き殺して出で、自ら行いを改めて忠行もて顕《あらわ》れたという。
 これらいずれも大河に住んでよほど大きな爬虫らしいから※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]の事であろう。支那の※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]は只今アリガトル・シネンシスとクロコジルス・ポロススと二種知れいるが、地方により、多少の変種もあるべく、また古《いにしえ》ありて今絶えたもあろう。それを※[#「(口+口)/田/一/黽」、189−4]竜《だりょう》、蛟竜また※[#「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1−94−55]と別ちて名づけたを、追々種数も減少して今は古ほどしばしば見ずなり、したがって本来奇怪だった竜や蛟の話がますます誇大かつ混雑に及んだなるべし。いわんや仏経入りてより、帽蛇《コブラ》や鱗蛇を竜とするインド説も混入したから、竜王竜宮その他種々数え切れぬほど竜譚が多くなったと知る。

     竜の起原と発達(続き)

 上に引いたフィリップ氏の言葉通り、今の世界に絶迹《ぜっせき》たる過去世期の諸爬虫の遺骸化石が竜てふ[#「てふ」に「〔という〕」の注記]想念を大
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