A『爾雅』註に拠れば※[#「※」は「むじなへん+干」、57−9]は虎属らしい、『本草綱目』に※[#「※」は「むじなへん+干」、57−9]は胡地の野犬状狐に似て黒く身長七尺頭に一角あり老ゆれば鱗あり能《よ》く虎豹蛟竜銅鉄を食う猟人またこれを畏るとある、インドにドールとて群を成して虎を困《くる》しむる野犬あり縞狼《ヒエナ》の歯は甚だ硬いと聞く、それらをジャッカル稀に角ある事実と混じてかかる談が生じただろう。西北インドの俗信にジャッカル額に角あるはその力で隠形の術を行うこれを截《き》り取りてその上の毛を剃って置くとまた生えると(一八八三年『パンジャブ・ノーツ・エンド・キーリス』三頁)。テンネントの『錫蘭博物誌略《ゼ・ナチュラル・ヒストリー・オヴ・セイロン》』三六頁以下に著者この角を獲て図を掲げいわく、土人言うジャッカルの王のみ後頭に一角あり長さ僅かに半インチ毛茸に被わる、これを持つ者百事望みのままに叶いこれを失いまた窃《ぬす》まるるも角自ずと還る、宝玉と一所に蔵《おさ》むればどんな盗賊も掠め得ず、またこの角を持つ者|公事《くじ》に負けずとあって、毎度裁判に負け続けた原告がこの角を得て敵手に示すと、とても勝ち得ぬと臆して証言を改めたんで原告の勝となったと載す、とにかく周の頃すでに※[#「※」は「むじなへん+干」、58−3]てふ野犬が支那にあったところへジャッカル稀に一角ある事などをインド等より伝え、名も似て居るのでジャッカルを射※[#「※」は「むじなへん+干」、58−4]また野干と訳したらしい、『博物新篇』などには豪狗と訳しある、この野干は狼と狐の間にあるようなもので、性質すこぶる黠《ずる》く常に群を成し小獣を榛中に取り囲み逃路に番兵を配りその王叫び指揮して一同榛に入り駆け出し伏兵に捕えしむ、また獲物ある時これを藪中に匿しさもネき体《てい》で藪外を巡り己《おのれ》より強きもの来らざるを確かめて後初めて食う、もし人来るを見れば椰子殻《やしがら》などを銜《くわ》えて疾走し去る、人これを見て野干既に獲物を将《も》ち去ったと惟《おも》い退いた後、ゆっくり隠し置いた物を取り出し食うなど狡智百出す、故に仏教またアラビア譚等多くその詐《いつわり》多きを述べ、『聖書』に狐の奸猾を言えるも実は野干だろうと言う、したがって支那日本に行わるる狐の譚中には野干の伝説を多分雑え入れた事と想う、『今昔
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