髟S合は谷間百合《リリス・オブ・ヴァレー》(きみかげそう)だともいう、耶蘇《やそ》徒は聖母がキリストに吮わせた乳少々地に堕ちてこの草になったと伝う(ベンジャミン・テイロール『伝説学《ストリーオロジー》』第九章)。紀州田辺近き上芳養《かみはや》村の俗伝に弘法大師筆を馬蓼《いぬたで》の葉で拭うた、自来この草の葉に黒斑|失《う》せずとて筆拭草と呼ぶ、『淵鑑類函』二四一に『湘州記』いわく〈舜蒼梧の西湖に巡狩す、二妃従わず、涙を以て竹を染む、竹ことごとく斑となりて死するなり〉、また『博物志』に〈洞庭の山帝の二女啼き、涕を以て竹に揮い竹ことごとく斑なり、今|下雋《かしゅん》に斑皮竹あり〉、わが邦の虎斑竹のごとく斑ある竹を堯の二女娥皇と女英が夫舜に死なれて啼《な》いた涙の痕としたのだ、英国などの森や生垣の下に生える毒草アルム・マクラツムはわが邦の蒟蒻《こんにゃく》や菖蒲とともに天南星科の物だ、あちらで伝うるはキリスト刑せられた時この草|磔柱《たっちゅう》の真下に生えおり数滴の血を受けたから今はその葉に褐色の斑あると(フレンド『花および花譚《フラワース・エンド・フラワーロワー》』巻一、頁一九一)。英国ダヴェントリー辺昔|嗹人《デーンス》敗死の蹟に彼らの血から生えたという嗹人血《デーンス・ブラッド》なる草あり、某の日に限りこれを折ると血出ると信ぜらる、これは桔梗科のカムバヌラ・グロメラタ(ほたるぶくろの属)の事とも毛莨《きんぽうげ》科のアネモネ・プルサチラ(おきなぐさの属)の事ともいう(同上、頁三一五。一九一〇年十二月十七日『ノーツ・エンド・キーリス』四八八頁)。アルメニアのアララット山の氷雪中に衆紅中の最紅花、茎のみありて葉なきが咲くトルコ人これを七兄弟の血と号《な》づく(マルチネンゴ・ツェザレスコ『民謡研究論《エッセイス・イン・ゼ・スタジー・オヴ・フォーク・ソングス》』五七頁)。わが邦の毒草「しびとばな」も花時葉なく墳墓辺に多くある故|死人花《しびとばな》というて人家に種《う》うるを忌む(『和漢三才図会』九二)というが、この花の色がすこぶる血に似ているのでかく名づけたのかも知れぬ、『説文』に拠ると今から千八百余年前の支那人は茜草を人血の所化《なるところ》と信じた、ドイツ、ハノヴワルの民ヨハネ尊者誕生日(六月二十四日)の朝近所の砂丘に往き学名コックス・ポロニカとて血の滴り様に見ゆる
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