かり悦《よろこ》びながら「父様見やんせ、余りに衣類が弊《やぶ》れているので、とてもこんな結構な品を戴かれません」、王「吾子よ最もな事を吐《ぬか》す、さらばこの衣類を遣わすからそこで着よ」、豹殺し「父様有難くて冥加《みょうが》に余って誠にどうもどうも、しかしこんな尤物《べっぴん》に木を斫《き》ってやる人がござらぬ」、王「委細は先刻から承知の介だ、この少童を伴れ去って木を斫らすがよい、またこの人を遣《や》るから鉄砲を持たせ」、豹殺し「父よ今こそ掌を掌《う》って御礼を白《もう》します」、そこで王この盛事のために大饗宴を張る」とある。小説ながら『水滸伝』の武行者や黒旋風が虎を殺して村民に大持てなところは宋元時代の風俗を実写したに相違ない。
盗人にも三分の理ありとか、虎はかく人畜を残害するもののそれは「柿食いに来るは烏の道理|哉《かな》」で、食肉獣の悲しさ他の動物を生食せずば自分の命が立ち往かぬからやむを得ぬ事だ、既に故ハクスレーも人が獣を何の必要なしに残殺するは不道徳を免れぬが虎や熊が牛馬を害したって不道徳でなくて無道徳だと言われたと憶《おぼ》える。閑話休題《それはさておき》、虎はまず猛獣中のもっとも大きな物で毛皮美麗貌形雄偉行動また何となく痒序《おちつい》たところから東洋諸邦殊に支那で獣中の王として尊ばれた。『説文』に虎を獣君という、山獣の君たればなり、また山君というと、わが邦で狼を大神と呼び今も熊野でこれを獣の王としまた山の神と称うるごとし。『揚子』に聖人虎別、君子豹別、弁人狸別、狸変ずればすなわち豹、豹変ずればすなわち虎、これは聖人君子弁人を順次虎豹狸に比べたのだ。『管子』に〈虎豹は獣の猛者なり、深林広沢の中に居る、すなわち人その威を畏れてこれを載す、虎豹その幽を去って而して人に近づくすなわち人これを得てその威を易《あなど》る、故に曰く虎豹幽に託《よ》って威載すべきなり〉。熊楠|謂《おも》うに昔|朱※[#「※」は「月+彡」、19−8]《しゅゆう》隠居して仕えず、閻負涼《えんぶりょう》に使し※[#「※」は「月+彡」、19−9]を以て王猛に比し並称す。秦主|苻堅《ふけん》猛を侍中とせし時猛※[#「※」は「月+彡」、19−9]に譲れり、のち猛死し堅南晋に寇《こう》せんとす、苻融石越等皆|諫《いさ》めしも※[#「※」は「月+彡」、19−10]独りこれを賛し、にわかに※水[#
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