びくのを聞いた時に、清造は、はっとわれに返りました。気がついてみると、それは凧屋《たこや》の店の裏《うら》でした。台所《だいどころ》のわきのせまい部屋《へや》にあおむけにねかされて、枕《まくら》もとに、さっき店でみたおやじさんがすわっていて、そのうしろにはあかんぼうをおぶったおかみさんが、立っていました。
「どうした、気がついたか。」
ひげの少しのびたおやじさんが笑いながら聞きました。清造にはなんのことだかわからないので、やっとからだを起《おこ》しながら、あたりをきょろきょろ見まわしました。
「はは、驚《おどろ》いているな。おまえはな、さっき店の前に立って、凧《たこ》の絵を見ているうちに、ううんといってぶっ倒《たお》れてしまったんだ。それでおれが驚いて、あわててここへかつぎこんで、介抱《かいほう》してやったんだ。どうした、どこかからだでも悪いのか。」
おやじさんは、顔のこわい割合《わりあい》にやさしい声を出して聞きました。
「ううむ。」
清造はやっと顔を横にふりました。
「ははあ、それじゃあ腹がへったんだな、え、おい、そうだろう。」
おやじさんはまた聞きなおしました。清造はしばらくだまって下をむいていましたが、
「え、おい、そうだろう。」
とまたいわれたとき、
「うん。」と思わずうなずきました。
「かわいそうじゃないか、こんなちび[#「ちび」に傍点]が腹がへって倒《たお》れるなんて。」と、おやじさんは、おかみさんの方をむきながら、
「なにか食《く》わしてやりな。なあに、悪いことをするやつなら、ひもじくなって倒れなんかしやぁしねえ。早くなにか食わせてやれ。」
といいました。
まもなく、あたたかいおつけ[#「おつけ」に傍点]とご飯《はん》をおかみさんがもって来てくれました。清造は、なん日目かというより、もういく月目かで、そんなにあたたかい湯気《ゆげ》の立つ、おつけ[#「おつけ」に傍点]のおわんを手にしたのでした。ご飯がすむと清造は店に来て、糸目をつけているおやじさんの前にすわっていました。
おやじさんは、下をむいて手を動かしながら、清造にいろいろなことを聞きました。
「ふふん、それでおまえは東京に出て来て、どこにも頼《たよ》る人はないのか。」
と、最後《さいご》に聞かれたとき、
「だれもねえだ。」
と、清造は答えました。そのとき、かれの頭には、けさがた通った町の店の人たちが、せわしそうに働《はたら》くだけで、自分なんかには目もくれなかったことをふと思い出しました。
「東京って、そんな生《なま》やさしいとこじゃないよ。みんなぶっ倒《たお》しっこをして暮《くら》しているんだ。しかし、おまえみたいに帰る家もなくっちゃ困《こま》っちまう。しかたがない、わしの家も当分《とうぶん》はまだせわしいから手伝《てつだ》っていな。そのうち、どこか小僧《こぞう》にでもいったらいいだろう。」
おやじさんは親切《しんせつ》にいってくれました。
三
清造はその日から、小さな凧屋《たこや》の小僧になりました。おやじさんは親切ないい人でした。夜になって夜なべ仕事[#「夜なべ仕事」に傍点]などをしているときには、いろいろ昔《むかし》のおもしろい話などを聞かせてくれました。そうして、町の中に、こんなに電信柱《でんしんばしら》やなにかが立たなかった時分《じぶん》には、東京でも、どんなに大きな凧《たこ》を上げたかを話したりして、
「しかしもう、これから凧屋《たこや》はだめだ。おまえなんかも、なにかいい好《す》きなことを考えた方がいいよ。」
といいました。それを聞くと清造は、いつも悲しくなりました。東京の市中《しちゅう》へ使いにいって、あのものすごい雑沓《ざっとう》に出あうと、かれは自分をどうしていいかわからないのに、この親切なおやじさんと別《わか》れるようになるのがいやだったのです。おかみさんもいい人でした。しかし、貧《まず》しい暮しをしている人は、時々自分でも思いがけないように腹をたてるものです。おかみさんにもそんなくせ[#「くせ」に傍点]がありました。清造はかんではき出すような小言《こごと》をいわれると、店の隅《すみ》で泣《な》いていました。そういうとき、だまってじっと目をつぶると、いつもあの沼と、沼に浮《う》かぶあわがかならず目に浮かんできました。
お正月がすぎると、凧屋《たこや》では五月ののぼりの鯉《こい》やなにかをつくりはじめました。そうして五月もすむと、今度《こんど》はうちわ[#「うちわ」に傍点]やせんす[#「せんす」に傍点]をつくりはじめたのです。その時分《じぶん》、うちわ[#「うちわ」に傍点]の絵《え》には、庭の池に築山《つきやま》があったり、ほたるが飛んでいたりするのがたくさんありました。清造はそういう絵を張っていると、
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