いずれにも入りえないようなものは全然排斥するようにしなければいけない。お役所ではよく、このごろの法学士はどうも法律ができなくて困る、といわれるそうだが、そのことこそまさにお役所法学の特異性を暴露するものにほかならないのであって、役人を志す人々はよくこの点に気をつける必要がある。
元来、官庁内の法規は官吏の行動に対して規準を与え、彼らの行動をして公平ならしめることを目的とするものである。すなわち法治主義の根本要求に適応するため官吏の専恣的行動を抑制するために制定されたものが法規である。したがって法規の存するところ官吏は必ず法規を遵守せねばならない。すなわち法規の存するところ彼らの行動は必ず法規に従って行われねばならないけれども、法規の不存在は決して彼らの行動を不可能ならしめるものではない。しかるに現在の役人は、しばしば法規の不存在を理由として行動それ自体を拒絶する。私はそれを根本的に間違っていると考える。裁判の例をとってみても、裁判規範たるべき法規の不存在は決して裁判拒絶の理由となるものではない。もしも裁判官が裁判規範なき事件について裁判を求められたならば、事件の実質を十分に審査した上、彼もし立法者なりせば立法すべき規範をみずから創定し、これを規準として裁判を与うべきであって、法規不存在のゆえをもって裁判を拒絶すべきではない。このことは、これに関する理論的説明ないしこれに関する裁判官の主観的意識それ自体にいろいろの差異あるにもかかわらず、現に一般裁判官によって遵守されている行動規準である。しかるに現在一般の役人は彼らが法規的に行動することを命ぜられていることから、ただちに法規の不存在は行動の不可能を意味するという結論を導き出しているように考えられる。彼らといえども行動の必要を感じ、しかもその規準たるべき法規を発見しえない場合には、事物の性質に応じてみずから適当なる法規を創定しつつ、これに従って行動しさえすればいいのである。しかるに、法規の不存在によってとかく行動の拒絶を理由づけようとするのが、現在の役人一般に通ずる弊風であって、私はそれを法治主義の誤解に由来するものとして排斥したいのである。
理屈をいってみればまあこんなことだが、現在のお役所には決して通用しない理屈である。だから役人として今の世に出世しようとする人々は夢にもこんな理屈にかぶれてはいけない。なるべく
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング