考えんと欲しつつその考える力にとぼしい。彼らは全く創造力と独自性とを失っている。しかもささやかながら、彼らのみずから考えんとしているあの努力をみよ。国民は今や目ざめたのである。われわれは彼らの目ざめをして真に意義あるものたらしめねばならぬ。なぜならば、みずから文明国をもって誇るわが国が明治維新このかた世界人類の文化のためになにものを貢献したか? わが国民ははたしてどれだけの創造力があるのか?
 それらの点を考えると、国民の創造力を養成することが刻下の最大急務のように思われてならないからである。
 せっかく今や、ようやく盲目的服従の習慣から離れて、みずから考えみずから行動せんとしはじめたのです。国家とその役人とは、今や全力を尽くしてその動きはじめた傾向を助長すべきです。
 そうしてみずからは「指導」をすてて「謙虚」につくべきです。ここにおいて私はいいたい。刑や法によって「淳風美俗」をおこそうと考えてはならぬ。みずから確信ある活力ある道徳的の規準を有せざるにかかわらず、なおかつ「民心の統一」に腐心するをやめよ。彼らの美しいといったものは国民もまた異口同音に美しいと合唱した時代はすでに過ぎ去った。一時の例外的現象にすぎない明治の夢を今もなおみていてはならぬ。目をあけて世の中を見よ。暁明はまさに来らんとしている。われわれは、みずから考えみずから行って、みずからの道徳を創造せんとしている。私はかく高唱しつつ、今後の国家と役人とがもっともっと謙虚なものになってほしいと希望するのです。
 そうして国家も役人も、われわれ普通の人間の考え方を制御することにのみ腐心せずに、むしろみずからをむなしうして、みずからもまた普通の人間と同様に考えうるようになることを心がけてほしいのです。なぜならば、「役人の頭」が「人民の頭」と一致することは国家制度の生きてゆく最小限度の要件であるから。

       一三

 今や役人はその態度と考え方とをあらためねばならぬ。「指導」より移って「謙虚」につかねばならぬ。そうしてわが国人をして真に世界人として世界人類の文化のために貢献しうるように、自由に考え、自由に行わしめ、もってその創造力と独自性とを十分に発揮せしめねばならない。そうしてそのことは「思想」の問題、「道徳」の問題、「美術文芸」の問題について、ことに痛切に感ぜられます。なぜならば、これらの問題は、一方においては、いずれも国家と法律と役人とにとって最もにがてな問題である。問題本来の性質上、役人の指導を許さざるもの、役人はただこれを取り締まる以外なんらの能力もあるべきはずのない事柄だからです。しかも他方において、わが国人をして今後人類文化のためになにものかを貢献せしめるがためには、これらの方面における国人の考え方と活動とをして、自由に活躍せしめねばならないからです。今日わが国はあらゆる方面において行きづまっています。政治においても、経済においても、法律においてもそうです。道徳の方面においても、また同様だということができましょう。旧来のものはすべてその権威を失いました。また少なくとも失わんとしています。伝統主義者はこれをみて慨嘆しています。けれども私はかくしてこそ、わが国がいきいきと伸びてゆくのだ、これこそ実に新日本への木の芽立ちと考えています。役人はなにゆえにこの伸びてゆく若芽を刈らんとするのであろう?
 彼らはみずから称して「思想を善導する」という。しかし「善」とははたしてなにか。彼らははたして確信をもってこれに答えうるものであろうか? 否、私はそうは思わない。なぜならば、今やまじめに考えている国民はみなひとしく「善とはなんぞや」の問いに答えかねて煩悶を重ねている。彼らもまたその例外であるはずはないからです。
「善」とはなんぞや。国民はみなその問いに答えかねて偉人のくるのを待っている。そのときにあたって、役人が「伝家のさび刀」をかつぎだして、われこそは「思想の善導者」である、と大声疾呼したところで、誰かまじめにこれを受け取る者があろう。この際役人もまた人間の間に下りきたってみな人とともに「善」とはなんぞやという普遍の公案を考えねばならない。かくしてこそ、彼らもまた国民とともに悲しみうる真の人間らしい役人となりうるのであって、それのみが今日の国家をして永く安泰ならしめる唯一の策だと私は考えるのです。

       一四

 なお終りに一言いっておかねばなりません。今の役人の中で無性に「伝家のさび刀」をありがたがり、これによって国民を「善導」せんとする者はむしろ上役の者に多い。しかも、この考え方は十分下役に徹底していないために、ややともすれば下役の考え方を強制する。その結果、みずから行いつつある行為について十分の確信をもたない下役の役人が、とにかく上官の命ずる
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