きわめて些細なできごとのように思われます。しかし、よくよく考えてみると事はきわめて重大です。これを機会に私は「人民の役人に対する不平」ひいては「国民の国家に対する不平反抗」という問題を多少考えてみたいのです。
二
今から一〇日ほど前の某紙寄書欄に一新帰朝者の税関の役人に対する不平が載っていました。それによると、税関の役人がその人の所持品を検査した際、一絵画のリプロダクションを発見して没収したという事件です。没収の理由はよくわかりませんが、多分わいせつの図画で輸入禁制品だというにあったのでしょう。
外国帰りの旅客がわいせつないかがわしい春画類の密輸入を企てることは実際上かなり多い事実のようです。日本に帰れば相当の地位にもつき、また少なくとも「善良の家父」であるべき人々が平気でそういうことをやるという事実はわれわれしばしばこれを耳にします。風教警察の目からみて国家がその防遏に苦心するのは一応もっともなことです。
けれども、今の問題の場合はそれではありません。没収された絵は春画ではありません。わいせつ本でもありません。それはイタリア、フィレンツェの美術館に数多き名画の中でも特に名画といわれているボッチッチェリー(一四四四―一五一〇年)の「春」(Primavera)です。それは「春」の絵に違いありませんが、決して「春画」ではありません。税関吏もまさかそんなしゃれを考えたわけではないのでしよう。やたらにただわいせつだと思って没収したに違いありません。そこで私は議論を進める便宜のためここにその画の写真を載せることを許していただきたいと思います。読者諸君は一応これを御覧の上、私のいうことを聞いていただきたいのです。
三
美術の専門家でない私には不幸にしてこの画についての詳しい適切な説明を与えることができません。けれども、一人の素人美術好きとしての私がかつてあの静かなフィレンツェのアルノ川に沿うて建てられた美術館の三階で、初めてこの「春」を見たときの感じ――それはとうてい私のまずい言葉や筆で十分に言い表わすことができるものではありませんが――を一言にしていうならば、それはむしろ「神秘的」な「ノイラステーニッシュ」なさびしい感じのするものでした。
しかも、それはなんともいわれないふしぎな「力」をもったものでした。外国を遍歴中ずいぶんさまざ
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