職業的法律家になった人々はもとより、普通の役人や会社員などになった人々にとっても、かかる特殊の能力を持っていることが、彼らの職業人としての特色をなしているのだと私は考えている。
 それでは、現在我が国の法学教育は、その目的のために何をなしつつあるか、また現在法学は、いかにしてその目的に役立っているであろうか。
 この問に答えるために、現在大学で行っている法学教育と法学者によって書かれた著書論文を概観してみると、第一に、内容的に言うと、それは大体、(1)[#「(1)」は縦中横]現行法令を解説したもの、(2)[#「(2)」は縦中横]法制史、ローマ法というような法制の歴史に関するもの、(3)[#「(3)」は縦中横]外国法もしくは比較法学的のもの、(4)[#「(4)」は縦中横]法哲学、法社会学等の名で法に関する一般理論を説いているもの、の四種類に分れている。
 第二に、形式的に言うと、法学書のほとんどすべては解説的に書かれており、直接法学的能力の訓練を目的とする形で書かれていない。大学の教育も大部分教説的であって、僅かに演習というような形で直接能力の訓練を目的とした教育が多少行われているにすぎ
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