「わねばなりません。われわれは科学によってどこまでもXを解剖すべきです。そうして残るxの値を理想の基礎に立って定むべきです。法学における「正確さ」は実にかくのごときものでなければならないのです。
一二
法学者としての私の主張は、これを具体的にいうと結局「判例法主義」(case law)にくるのです。多数の判決例の上に現われた個々の具体的事例を解剖して([#ここから横組み]a+b+c+d+x[#ここで横組み終わり])を求めた上、これと「答え」との相対的関係を求めて、将来の事件において現わるべき「具体的妥当性」が何物であるかを推論する材料としたいのです。したがって個々の判決例は固定した「法」の各個の適用ではなくして、「具体的妥当性」を求めて千変万化する「法」の何物たるかを推論すべき重要材料だと考えるのです。
この意味において、私は今後の法学教育もまた「判例法主義」(case method)になってゆかねばならぬと確信しています。従来のごとく、XをかりにABなどに置き換えて正確(?)な結論を求めたと信じている法学は学生をして「法」の真髄を知らしめるゆえんではない。それはただ多少「論理」と「手練」とを習得せしめることができよう。けれども、かくして得た「法」は真の「法」ときわめて縁遠いものだといわねばなりません。
私は、この春から大学でケース・メソッドによって法学教育を始めました。それは今多くの人々によって問題にされています。けれども、それは決して従来のいわゆる演習(Praktikum)というような意味ではなく、私はこれによってのみ真に「活きた法律」「一定の法則をもって伸縮する尺度としての法」を教えることができるのだと考えています。[#地から1字上げ](一九二二・六・五)
底本:「役人学三則」岩波現代文庫、岩波書店
2000(平成12)年2月16日第1刷発行
初出:「改造」
1922(大正11)年7月号
入力:sogo
校正:染川隆俊
2007年11月19日作成
2008年4月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全12ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
末弘 厳太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング