ことは岡さんからお聞きして懐かしく思っています」と、幾分か話がはずんできた。私は、「お噂は岡から承って、大へんお慕いして居りますので、加減がいいとつれて参ったのですが」と語り出して、残してきた病床の妹の事が案じられた。女史は京の新茶と珍菓を出して、もてなされた。
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一椀のうす茶の上に風わたり言葉すくなに
対う半日
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 私はこの時いい気持になって、蓮月尼の事を話しかけた。「蓮月尼の『岡崎の里のねざめにきこゆなり北白川の山ほととぎす』が私は好きで、その起き臥した跡を尋ねたいと思いながら、今度は果しませんでした。私は尼の手づくりの花瓶を持っていますが、それには歌も絵も得意のなりわいの麗筆で書いてあります。手づくりの陶器を生業にしていたことは、『手すさびのはかなきものを持出てうるまの市に立つぞわびしき』の歌で知られますが、その人と為りをなつかしんで居ります私はその庵あとでもたずねて、過ぎし日を偲びたいと思っているのです。昔、中学生の時分に、父に伴れられて西加茂の神光院をおとずれた私は、蓮月の事など、てんで頭になかったものですから、そこに晩年を送られたという時の事を聞こうともしなかったのです。知らないということは仕方のないものです。あの「うるまの市」の歌は、尼の生活のまざまざと滲み出ているもので、ほそぼそと哀愁の籠っているのに牽きつけられます」
 女史は耳を傾けて聴いて居られた。だんだん親しみが出て来て、初めのうちに出されなかった京なまりがほぐれて出るようになり冷たいばかりの人でないことが分ってきた。
 冷たい感じを受けるのは、女史の人柄の水仙の花のような高い香気からで、それが制作の上に反映されたわけであることを知ると共に、うら若い時からのかずかずの芸術上、人生上の労苦を思わずにいられなかった。ふと傍の白い障子に刺す京の晩春の斜めの陽が、辞し去りがたい愛着を感じさせた。と、いつか女史のかたへに来て居った、女史に似た眉目の麗しい童すがたが、見知らぬ私の方をものめずらしそうに見るのであった。それは今京都画壇の中堅である松篁さんであった。
 鶯はまだ啼きやまない。
 窓越しに見ると、莟のふくらみかけた大木の丁子の枝遷りして、わが世の春の閑かさ暖かさをこの時に萃《あつ》めているように。
[#地付き](昭和二十五年)



底本:「青帛の仙
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