お前は来るのにだいぶん永くかかったようじゃのう。」と侯爵は微笑を浮べながら言った。
「どういたしまして。私は真直に来ましたのです。」
「いや失礼! わしの言うのは、旅行に永くかかったというのじゃない。旅行をする気になるのに永くかかったというのじゃ。」
「私の手間取りましたのは、」――と甥はちょっと返答をためらって――「いろいろな用事のためでした。」
「そうだろうとも。」と垢抜けのした叔父は言った。
召使人がいる間は、それ以外の言葉は二人の間に交《かわ》されなかった。珈琲が出されて、二人だけになると、甥は、叔父を見つめて、精巧な仮面に似た顔の眼と見合いながら、話を切り出した。
「あなたもお察しのように、私の戻って参りましたのは、私が国を去りました目的を続行するためです。その目的のためには私は大きな思いがけない危険に陥りました。しかし、それは神聖な目的です。ですから、もし私がそれのために死ぬところまで行ったとしても、私はそれをやり通したろうと思います。」
「死ぬところまでということはないさ。」と叔父は言った。「死ぬところまで、などと言う必要はないよ。」
「もし私が、」と甥が返答した。「そのために死の瀬戸際まで連れて行かれたとしても、あなたがそこで私を止めてやろうと気にかけて下すったかどうか、怪しいものですねえ。」
鼻にあるあの深くなったところと、残忍な顔にあるあの細い真直な線が長くなったこととで見ると、そのことは到底望みがないと思われた。叔父はそんなことがあるものかという抗議の優雅な手振りを一つしたが、それは上品な躾から来たちょっとした形式であることは明かであったので、相手に安心を与えるようなものではなかった。
「実際のところ、」と甥が続けて言った。「私の知っている限りでは、あなたは、私を取巻いていた嫌疑を受けやすい事情に、いっそう嫌疑を受けやすい外見を与えるようにと、殊更にお骨折になったかもしれませんね。」
「いや、いや、そんなことはしないさ。」と叔父は面白そうに言った。
「しかし、それはともかく、」と甥は、深い疑惑の念をもって彼をちらりと眺めながら、再び言い始めた。「あなたの御方針がどうしてでも私に思い止らせよう、そしてそのためにはどんな手段であろうと躊躇しないというのであることは、私は承知しています。」
「のう、お前、わしはお前にそう言い聞かせたはずじゃ。」と叔父は、例の二つの凹みのところを微かに脈|搏《う》たせながら、言った。「ずっと以前にお前にそう言い聞かせたのを思い出してもらいたいものじゃな。」
「覚えております。」
「有難う。」と侯爵は言った、――実際ごくやさしく。
彼の声は、ほとんど楽器の音《ね》のように、空中に漂った。
「つまりですね、」と甥は言葉を続けた。「私がこのフランスでこうして牢獄に入らずにいられるのは、あなたにとっては不運であると同時に、私にとっては幸運なのだ、と私は信じます。」
「わしにはどうもまるでわからんが。」と叔父は、珈琲を啜りながら、返答した。「説明してもらえまいかのう?」
「もしもあなたが宮廷の不興を蒙ってお出でではなく、またここ何年間もあのように面白からぬ形勢になってお出でではなかったならば、一枚の拘禁令状★で私はどこかの城牢へ無期限に送り込まれていたろう、と私は信じているのです。」
「そうかもしれん。」と叔父は極めて冷静に言った。「家門の名誉のためには、わしはお前をそれくらいまでの不自由な目に遭わせる決心をしかねないからな。いや、これは失礼なことを言ったのう!」
「一昨日の接見会《リセプション》も、私には仕合せにも、例の通り冷いものだったろうと思いますね。」と甥が言った。
「わしなら仕合せにもとは言わぬがな、お前。」と叔父はいかにも垢抜けのした上品さで返答した。「わしにはそうとは信じられんよ。孤独という有利な境遇に取巻かれた、考慮するには持って来いの機会というものは、お前が独力でやるよりも遥かに有利にお前の運命を左右することが出来るのじゃ。だが、その問題を議論したところで無益じゃ。わしは、お前の言う通り、不利な地位に立っておる。そういう小さな懲治の手段、家門の権力と名誉とを守るためのそういう穏やかな助力、お前をそんな不自由な目に遭わせることの出来るそういう些少の恩恵、そういうものも今では伝《つて》を求めてしつこく頼まなければ得られぬことになっておる。そういうものを得ようと求める者は極めて多数じゃが、それを与えられる者は(比較的に言えば)ごく少数なのじゃ! 前はこんなことはなかったのだが、そういうようないろいろのことではフランスは悪化して来ておるわい。わしたちの遠くもない先祖たちは近隣の下民どもに対して生殺与奪の権を持っておったものじゃ。この部屋からも、たくさんのそういう犬どもがひっ
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