ゃな!」
「閣下《モンセーニュール》。お慈悲でございます! 御猟場番人の、私の亭主のことで。」
「猟場番人の、お前の亭主がどうしたのじゃ? お前らの言うことはいつもいつも同《おんな》じじゃ。何かが納められないのじゃろう?」
「亭主はすっかり納めました、閣下《モンセーニュール》。亭主は死にました。」
「そうか! では安穏になっておるのじゃ。わしがそれをお前のところへ生き返らせてやれるか?」
「ああ、さようではございません、閣下《モンセーニュール》! しかし亭主は、あそこに、萎《しな》びた草が少しばかりかたまって生えているところの下におります。」
「それで?」
「閣下《モンセーニュール》、そういう萎びた草の少しかたまって生えているところがそれはそれはたくさんございます!」
「それで?」
 彼女は年寄の女のように見えたが、ほんとうは若いのであった。彼女の物腰は強い悲歎を抱いているような物腰であった。代る代る、彼女はその筋立った瘤だらけの両手を烈しく力をこめて握り合せたり、片手を馬車の扉《ドア》にかけたりした、――まるでその扉《ドア》が人間の胸であって、訴える手の触るのを感じてくれるもののように、やさしく、撫でさすりながら。
「閣下《モンセーニュール》、お聞き下さいませ! 閣下《モンセーニュール》、私のお願いをお聞き下さいませ! 私の亭主は貧乏のために死にました。たくさんの者が貧乏のために死にます。もっとたくさんの者が貧乏のために死にますでしょう。」
「それで? わしがその者どもを養えるか?」
「閣下《モンセーニュール》、それは有難い神さまだけが御存じでございます。けれども私はそんなことをお頼みするのではございません。私のお願いいたしますのは、私の亭主の名前を書きました小さな石か木片《きぎれ》を一つ、亭主の寝ております場所がわかりますように、その上に置かせていただきたいということでございます。でございませんと、その場所はじきに忘れられてしまいますでしょう。私が同じ病で死にます時にはそこはどうしても見つからないでこざいましょう。私はどこか他《ほか》の萎びた草のかたまって生えているところの下に埋められますでしょう。閣下《モンセーニュール》、死ぬ者はそれはそれはたくさんでございます。死ぬ者はずんずん殖えて参ります。貧乏な者がそれはそれはたくさんでございますから。閣下《モンセーニュール》! 閣下《モンセーニュール》!」
 側仕は彼女を扉《ドア》から押し除け、馬車は急に疾《はや》い早足で駈け出し、馭者は馬の足を速めさせたので、彼女は遥かの後に取残され、そして閣下《モンセーニュール》は、再び蛇髪復讐女神《フュアリー》に護衛されて、彼と彼の館《やかた》との間に残っている一二リーグ★の距離を急速に短縮しつつあった。
 夏の夜の甘い香《かおり》は彼の周囲一面にたちこめた。そしてまた、そこから遠く離れてもいない飲用泉のところにいる、塵まみれの、襤褸《ぼろ》を著た、働き疲れた群《むれ》の上にも、雨の降るように、偏頗なくたちこめた。その群《むれ》に向って、例の道路工夫は、彼の全部であるところの例の青い帽子の助けを藉りて、彼等の辛抱出来る限り、さっきの幽霊のような男のことをまだ頻りに述べ立てていた。そのうちに、だんだんと、彼等は辛抱が出来なくなるにつれて、一人一人と減ってゆき、小さな窓々の中に灯火が瞬き出した。その灯火は、窓が暗くなってもっと星が出て来るにつれて、消されたのではなくて空へ打ち上げられたように思われた。
 その頃、屋根の高い大きな家と、枝を拡げたたくさんの樹木との影が、侯爵閣下に覆いかかっていた。そして、その影は、彼の馬車が停った時に、火把《たいまつ》の光と入れ換った。それから彼の館の大扉が彼に向って開かれた。
「ムシュー・シャルルがわしを訪ねて来るはずじゃが。イギリスから到著しておるか?」
「閣下《モンセーニュール》、まだ御到著ではございませぬ。」
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    第九章 ゴルゴンの首

 侯爵閣下のその館《やかた》は、どっしりとした建物であって、その前面には石を敷いた広い庭があり、二条の彎曲した石の階段が、表玄関の扉《ドア》の前にある石の露台《テレス》で出会っていた。何から何まで石だらけの建物で、どちらを向いても、どっしりした石造の欄干や、石造の甕や、石造の花や、石造の人間の顔や、石造の獅子の頭などがある。まるで、二世紀前にその建物が竣工した時に、ゴルゴン★の首がそれを検分したかのよう。
 侯爵閣下は馬車から出て、火把《たいまつ》を先に立てて、浅く段をつけた幅広の上り段を上って行ったが、その火把はあたりの暗闇《くらやみ》を掻き乱し、彼方《かなた》の樹の間の厩の大きな建物の屋根にいる一羽の梟から声高い抗議を受けたほどであった。その他《
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