ゃあこれと同《おんな》じ葡萄酒をもう一パイント★おれに持って来てくれ、給仕。それから十時になったらおれを起しに来てくれ。」
勘定書を払うと、チャールズ・ダーネーは立ち上って、カートンにおやすみを言った。その挨拶には返答せずに、幾らか嚇《おど》すような挑戦するような態度で、カートンも立ち上って、それから言った。「最後にもう一|言《こと》だ、ダーネー君。君は僕が酔っ払っていると思うかね?」
「あなたはだいぶお飲みになったと私は思いますがね、カートン君。」
「思うって? 君は僕が飲んでいたことは知っているじゃないか。」
「そう言わなければならないのでしたら、私はそのことを知っています。」
「ではなぜ飲むかってことも序《ついで》に知らしてあげよう。僕はね、失望した奴隷なんだよ、君。僕は誰一人だって好きでもなければ気にもかけないし、また誰一人だって僕を好きでもなければ気にもかけやしないんだ。」
「たいそう遺憾なことです。あなたは御自分の才能をもっと有効に御利用出来ますでしょうに。」
「そうかもしれんさ、ダーネー君。そうでないかもしれんさ。だが、君は酒を飲まんからっていい気になってちゃいけないぜ。どんなことになるか君だってわかりゃしないんだからね。おやすみ!」
一人だけになると、この不思議な人物は蝋燭を取り上げて、壁に懸っている鏡のところへ行き、それに映る自分の姿を綿密にうち眺めた。
「お前はあの男に特別に好意を持っているのか?」と彼は自分自身の姿に向って呟いた。「お前に似ている男だからといって特別に好意を持たなければならん訳があるのかい? 人に好意を持つなんてことはお前の柄《がら》じゃない。それはお前も承知しているはずだ。えい、畜生め! 何というお前の変り果てようだ! お前の堕落しない前の姿と、お前のなれたかもしれない姿を見せてくれた男だからといって、その男を好くというのは立派な理由さね! あの男と位置を換えてみろ。そうしたら、お前はあの男と同じようにあの青い眼で見つめられたり、あの男と同じようにあの不安そうな顔で同情されたりしたろうか? さあ、いいか。遠慮なくあからさまに言ってみろ! お前はあいつを憎んでいるのだ。」
彼は心の慰めを一パイントの葡萄酒に求めて、それを数分のうちにすっかり飲み尽すと、それから両腕の上に突っ伏して寐込んでしまった。彼の髪の毛は卓子《テーブル》の上に乱れかかり、蝋燭の長い蝋垂れが彼の上にたらたらと滴り落ちるのだった★。
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第五章 豺《やまいぬ》
その頃は飲酒の時代であって、大抵の人は豪飲したものだった。時がその後そういう習慣に齎した改善は極めて著しいものであったので、その頃の一人の男が完全な紳士としての体面を穢《けが》さずに、平生よく一晩のうちに飲んだ葡萄酒やポンス★の量を、控目に述べても、今日では、馬鹿馬鹿しい誇張と思われるほどであろう。法律家という智的職業階級も、その大酒の習癖にかけては、確かに他のいかなる智的職業階級にもひけを取らなかった。また、もう既にずんずん他人を肩で押し除けて手広く儲けのある商売をやっているストライヴァー氏も、その道にかけては、法曹界の酒気抜きの競争にかけてよりも以上に、彼の同輩たちにひけを取りはしなかった。
オールド・ベーリーの寵児であり、普通刑事裁判所の寵児であるストライヴァー氏は、自分の登って来た梯子の下の方の段を用心深くも切り落し始めていた。普通刑事裁判所もオールド・ベーリーも今ではその寵児を特に腕を差し伸べて招かねばならなくなった。そして、民事高等裁判所★の裁判長の面貌の方へ肩で他人を押し除けて突き出ているストライヴァー氏の血色のよい顔が、ちょうど庭一面に生い繁った仲間のけばけばしい花の間から太陽をめがけてぐっと伸び出ている大きな向日葵《ひまわり》のように、仮髪《かつら》の花壇★からにゅっと現れ出ているのが、毎日のように見受けられたのであった。
一頃、ストライヴァー氏は口達者で、無遠慮で、敏捷で、大胆な男ではあるが、弁護士の伎倆の中で一番目立ち一番必要なものの一つであるところの、山なす陳述記録から要点を抜き出すというあの才能を持っていない、ということが法曹界で評判であった。しかし、このことについては著しい進歩が彼に現れて来た。仕事が多くなればなるほど、その精髄を掴む彼の能力が増して来るように思われた。そして、夜どんなに晩《おそ》くまでシドニー・カートンと一緒に痛飲していても、彼は翌朝には必ず自分の要点をちゃんと心得ていた。
人間の中でも一番怠惰な、一番前途の望みのないシドニー・カートンは、ストライヴァーには大切な味方であった。この二人がヒラリー期からミケルマス期までの間に★一緒に飲んだ酒の量は、王の軍艦一隻でも浮べられそうなくらいで
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