手前はそいつを一度も見たことがござりませなんだ。」
「鎖にぶら下っておったと? 息《いき》を詰らすためか?」
「御免を蒙りまして申し上げますが、それが不思議なところでございましたよ、閣下《モンセーニュール》。そいつの頭は仰向にぶら下っておりました、――こんな風に!」
 彼は馬車に対して横になるように体《からだ》を向け、反《そ》り返って、顔を空の方へ振り向け、頭をだらりと下げた。それから、体を元へ戻して、帽子をいじくって、ぴょこんと一つお辞儀をした。
「そやつはどんな様子をしておったか?」
「閣下《モンセーニュール》、その男は粉屋よりも真白でござりました。すっかり埃《ほこり》をかぶって、幽霊のように白くって、幽霊のように脊が高く★って!」
 この画のような言い方はそこにいた小さな群集に非常な感動を惹き起した。が、すべての眼は、他の眼と※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《めくば》せもせずに、侯爵閣下を眺めた。たぶん、彼には良心を悩ます幽霊などというものがいるかどうかということを観察するためであったのだろう。
「なるほど、お前はでかしおったわい。」と侯爵は、こういう虫けらどもを相手に立腹すべきではないとうまく気がついて、言った。「泥坊めがわしの馬車にくっついているのを見ておりながら、お前のその大きな口を開いて知らせようともしなかったとはな。ちえっ! この男をあちらへ連れて行け、ムシュー・ガベル!」
 ムシュー・ガベルはそこの宿駅長であって、他に何かの徴税吏をも兼ねていた。彼は、さっきから、この訊問を輔佐するためにすこぶる追従するような態度で出て来ていて、その訊問されている者の腕のところの服をいかにも役人らしい風に掴んでいたのである。
「ちえっ! あちらへ行け!」とムシュー・ガベルが言った。
「今の他所者《よそもの》が今夜お前の村で宿を取ろうとしたらそやつを捕えておけ。そしてそやつに悪い事をさせぬようにきっと気をつけるのじゃぞ、ガベル。」
「閣下《モンセーニュール》、御命令は必ず遵奉いたしますつもりでございます。」
「そやつは逃げ失せてしまったのか、野郎めは? ――さっきの罰当りはどこにいる?」
 その罰当りは既に六人ばかりの特別に親しい友達★と一緒に馬車の下に入っていて、自分の青い帽子で例の鎖を指し示していた。別の六人ばかりの特別に親しい友達がすぐさま彼をひっぱり
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